憲法や政権、直言重ね 早大・水島教授HPエッセー 1000回 - 東京新聞(2015年12月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015122902000126.html
http://megalodon.jp/2015-1229-0934-23/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015122902000126.html

憲法学者水島朝穂(あさほ)・早稲田大教授(62)がホームページ(HP)で毎週一回更新する憲法を読み解くエッセー「直言」が今月十四日で千回に達した=写真。開始から約十九年。集団的自衛権の行使が容認されるなど平和憲法の土台が揺らぐ中、今後も憲法をめぐる動きに警鐘を鳴らし続ける。 (関口克己)
安保法制に反対する「立憲デモクラシーの会」の呼び掛け人などを務める水島氏。自身のHP「平和憲法のメッセージ」で毎週月曜日に更新しているのが、エッセー「直言」だ。
一九九七年一月三日。知人から「HPというものがある。先生の名前で作るから、文章を書いてほしい」と誘われ、軽い気持ちで応じた。
初回のテーマは、発生直後のペルー日本大使公邸人質事件。海外でテロに遭った邦人救出に関し「自衛隊に特殊部隊をつくれという世論を煽(あお)ることはやめるべきだ」と冷静な議論を呼び掛けた。
まだHPが珍しい時代。ネット上に自分の考えが載り「おもしろいですね」。すると知人は「では、来週も」。続けるつもりはなかったが、評判も高まりやめられなくなった。
当時の首相は故橋本龍太郎氏。現在の安倍晋三氏まで延べ九人も代わったが、水島氏は一年間のドイツ在外研究中も休まず政権と憲法を定時観測してきた。
水島氏のHPの閲覧者は一日、千〜二千人程度。それが、安保法制が成立した今年は五千人を超える日もあった。「直言」は、野党議員が国会で質問する材料としてたびたび引用された。国会審議が進むにつれ、多くの矛盾が明らかになった安保法制は、与党などの賛成多数で九月十九日に成立。それでも、水島氏は二日後の「直言」で「『廃止法案』を直ちに国会に」と呼び掛けた。
「直言」開始から約十九年。今は多くの人がツイッターやブログで分秒刻みでメッセージを発信する。
だが、水島氏は「瞬時のつぶやきは、主張が前のめりになる。自分にはHPがいい」と話す。とはいえ、講義や講演の合間を縫って、毎週更新のために数千字を書くには気力と体力を消耗する。家族は「隔週にしたら」と言うが、本人は「そうした途端に感覚は鈍り、書けなくなる」と、今のスタイルにこだわる。千回目はこう結んだ。「これからも、安倍政権の『壊憲』と対峙(たいじ)して、批判的な言論空間を創出していきたい」
「直言」は、初回分から全て公開している。二十八日現在は千二回。HPのアドレスはhttp://www.asaho.com/

立憲主義が問われた年――2015年の終わりに - 水島朝穂のホームページ(2015年12月28日)
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2015/1228.html

立憲主義は、戦後の日本国憲法のもとで必ずしも自明ではなかった。学校教育でも、民主主義や平和主義については教えられていても、教科書で立憲主義について触れられるようになったのはここ10年くらいのものである。

直言「『あたらしい憲法のはなし』からの卒業――立憲主義の定着に向けて(2) - (2013年6月3日)
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2013/0603.html

憲法学では自明中の自明の立憲主義の考え方について、この国では、憲法施行66年にもなるのに、十分に普及していなかったという事実を思い知った。
その原因なり背景には、『あたらしい憲法のはなし』を過大評価し、長らく「護憲のバイブル」として扱ってきたこともあるのではないか。そもそも「バイブル」という表現がいただけない。
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実は、この『あたらしい憲法のはなし』で最も問題なのは、憲法が権力を制限するものだという立憲主義の視点がきわめて弱い点にある。この小冊子では、「憲法を守ってゆく」という表現が随所に出てくる。その主体は国だったり、国民だったりする。明示的あるいは黙示的に国民を主語にしたところが5箇所ある。例えば、「私たち日本国民は、この憲法を守ってゆくことになりました」「みなさんは、国民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません」等々。これを読んだ生徒は、憲法は「私たちが守ってゆく大切な国のきまり」という理解に落ちつくだろう。
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戦後、日本平和委員会の復刻版が1972年11月3日に発刊された。それには、長谷川正安氏(名古屋大学名誉教授)の「解説」が付いている。きわめて政治的な解説で、日本国憲法とそれをめぐる状況の外在的な批判はあるものの、立憲主義についての理解を助ける叙述は皆無である。それもそのはずで、長谷川氏はマルクス主義憲法学の代表格で、立憲主義に対して当然批判的である。日本国憲法も階級支配の道具であり、その「民主的・平和的条項」は擁護の対象となるが、将来の「民主的権力」が自衛措置を行う際には、9条2項は改正の対象となるという理解である。いかなる権力も憲法に縛られるという発想をとらない以上、「解説」に立憲主義という言葉が出てこないのはある意味で当然だろう。
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《付記》
藤井康博氏(静岡大教育学部准教授)によれば、中学校の社会科・公民の検定教科書を見たところ、10年以上前とは異なり近年の5社(教育出版、 清水書院帝国書院、東京書籍、日本文教出版)では、「立憲主義」または「立憲政治」の項目が、憲法研究者らによって(遅まきながら)新たに的確に説明されている(育鵬社のものには「立憲主義」の項目がないが権力濫用を抑制する憲法との説明は一応あり、自由社のものでは人権保障との関連が不十分である)。 そのように中学と大学を接続させる憲法教育の発展が期待される。