松橋事件、再審確定 最高裁 85歳男性、無罪の公算 - 東京新聞(2018年10月13日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018101302000118.html
https://megalodon.jp/2018-1013-0928-01/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018101302000118.html

熊本県松橋(まつばせ)町(現宇城市)で一九八五年、当時五十九歳の男性が刺殺された「松橋事件」の再審請求審で、最高裁第二小法廷(菅野博之裁判長)は、殺人などの罪で懲役十三年が確定し、服役した宮田浩喜さん(85)の裁判のやり直しを認める決定をした。十日付で検察の特別抗告を棄却した。事件発生から三十三年余りを経て再審開始が確定した。裁判官四人全員一致の結論。
熊本地裁福岡高裁とも、弁護団が提出した新証拠により「自白の信用性は崩れた」として再審を認め、最高裁も支持した。熊本地裁でやり直される公判で殺人罪が無罪となる公算が大きい。
宮田さんは将棋仲間を殺害したとして起訴された。捜査段階で自白したが、一審公判から全面否認に転じた。九〇年に最高裁で有罪が確定した。
有力な物証はなく、自白の信用性が争点だった。再審請求で弁護団は「凶器の小刀に布を巻き付けて刺した。布は燃やした」との自白は信用できないと主張。燃やしたはずの布きれが検察保管の証拠物から見つかったことや、小刀の形状と遺体の傷が一致しないとした鑑定書を新証拠として提出した。二〇一六年六月の熊本地裁決定は、これらの新証拠を基に「自白の重要部分が客観的事実と矛盾する疑義が生じた」として再審を認めた。一七年十一月の福岡高裁決定も「自白の信用性が大きく揺らいだ」として支持した。
事件は八五年一月に発生。首などを刺された岡村又雄さんの遺体が自宅で見つかり、宮田さんが逮捕された。八六年十二月の熊本地裁判決は自白の信用性を認めて懲役十三年とし、九〇年一月に最高裁が上告を棄却した。宮田さんは服役後の九九年三月に仮出所。認知症のため、成年後見人の弁護士が一二年に再審請求していた。

◆証拠開示 制度化を
三十三年もの間、殺人犯の汚名を着せられている宮田浩喜さんを再審開始に導いたのは、捜査機関が長年隠してきた証拠物の存在が偶然、明らかになったことだった。一昨年の法整備で公判での証拠開示には一定の前進があったが、再審請求審は置き去りにされたまま。冤罪(えんざい)を防ぐためにはルールづくりが急務だ。
一九八五年に起きた松橋事件で、捜査機関が宮田さんを犯行と結びつけた直接証拠は「自白」だけ。それも当初は否認していたにもかかわらず、警察は宮田さんを連日任意で聴取し、「小刀の柄に血が付くのを防ぐため、シャツの布を切り取って柄に巻いて刺した。布は燃やした」との自白を引き出した。弁護団は再審請求の準備を進めていた九七年、熊本地検に「証拠物の衣類を見せてほしい」と求めた。すると検察官は、開示義務はないにもかかわらず、大量の証拠物を任意で開示。その中には、ないはずの「布」も含まれていた。
弁護団の斉藤誠弁護士は「公判では隠し続けてきたのに突然出してきた。検察官が勘違いしたとしか思えない。検察内部の引き継ぎがうまくいっていなかったのだろう」とみる。
二〇一六年施行の改正刑事訴訟法では、検察側が集めた全証拠のリストを弁護側に交付する制度が導入された。これまで検察側に不都合な証拠は存否すら分からなかったが、仮に無実だった場合、弁護側は冤罪を証明する糸口を見つけやすくなった。ただ、再審請求審は制度の対象外だ。宮田さんの次男は「父は人に迎合するタイプではない」と言い切る。それでも厳しい取り調べの末、自白に追い込まれた。再審の扉を開くきっかけが、偶然であってはならない。証拠開示の制度化が求められる。 (池田悌一)

松橋事件 弁護団「生きているうち無罪確定を」 - 毎日新聞(2018年10月12日)

https://mainichi.jp/articles/20181013/k00/00m/040/152000c
http://archive.today/2018.10.13-003030/https://mainichi.jp/articles/20181013/k00/00m/040/152000c

再審開始を告げる最高裁決定に「ようやくここまで」
33年訴え続けた無実の叫びが再審の重い扉を押し開いた。1985年に熊本県松橋(まつばせ)町(現宇城市)で男性が殺害された「松橋事件」の再審開始を告げる最高裁決定が届いた12日、殺人罪などで懲役13年の刑に服した熊本市の宮田浩喜(こうき)さん(85)を支えてきた弁護士らは「ようやくここまで来た」と感無量の面持ちで語った。しかし、当の宮田さんは認知症が進み、喜びを分かち合うことができない。弁護団は「生きているうちの無罪確定を」と訴える。
熊本市中央区の県弁護士会館の一室。報道陣を前に三角恒(こう)・主任弁護人は「宮田さんの体調が思わしくない中、再審確定が万一間に合わなかったら……と考えたこともあった。よかった」と笑みを浮かべた。
ただ素直には喜べない。事件の年に逮捕され、一審途中で無罪主張に転じてから33年、2012年3月の再審請求から6年半。三角弁護士は再審決定までの長い道のりを振り返りながら「検察は理由もなく抗告や特別抗告を繰り返し、引き延ばしてきた」と憤り「宮田さんの年齢を考えると速やかに再審を終結させてほしい」と語気を強めた。
時間との闘いだった。出所後、脳梗塞(こうそく)を患った宮田さんは後遺症で寝たきりになり、認知症の症状も進む。昨年9月には再審請求人の一人で、宮田さんの無罪を信じ続けてきた長男の貴浩さん(当時61歳)が病気で亡くなった。
記者会見終了後の午後7時過ぎ、三角弁護士らは宮田さんが入所する熊本市西区の高齢者施設を訪れ、吉報を伝えた。認知症の宮田さんの後見人として再審請求した衛藤二男(つぎお)弁護士によると、ベッドに横になったままの宮田さんの表情から感情を読み取ることはできなかった。それでも「おめでとうございます、裁判勝ちましたよ」「無罪ですよ」と何度も声をかけたという。
面会後、三角弁護士は「今日のような形でしか報告できなかったことには怒りともいえる感情がある。本来あってはならないことで、捜査機関には自戒してほしい」と穏やかな口調に怒気をにじませた。【清水晃平、中里顕、城島勇人】

川口の中学生3度自殺未遂 母「早く動いてくれれば」 - 東京新聞(2018年10月13日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018101302000117.html
https://megalodon.jp/2018-1013-0929-24/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018101302000117.html

埼玉県川口市の市立中学校三年の男子生徒(14)が、入学当初からのいじめを苦に三度の自殺未遂を図っていた問題で、生徒の母親(43)が十二日、本紙の取材に応じた。生徒は担任教師に助けを求めたが、対応されず、第三者調査委員会の設置も遅かった。母親は「学校や市教育委員会がもっと早く動いていれば、こんなことにならなかった」と憤った。
母親によると、男子生徒は入学間もない二〇一六年五月ごろから、所属するサッカー部の先輩や同級生ら十数人から仲間外れやからかい、暴言を受けるようになった。九月には、いじめの内容や加害生徒の名前を記し「助けてください」と訴える手紙を担任教諭に複数回、手渡した。だが、何の対応もなく、自宅で首つり自殺を図った。
その後も学校の動きは鈍く、男子生徒は十月、二度目の自殺を図った。二度目の自殺未遂を受け、学校はようやく無記名のいじめ調査をしたが、母親は教頭から電話で「いじめは認められなかった」と伝えられた。
一七年四月、男子生徒は自宅近くのマンションから飛び降り、頭や太ももなどの骨を折る大けがをし、車いす生活になった。市教委が、いじめ調査の第三者委員会を設置したのはその七カ月後。母親には知らされなかった。いじめ防止対策推進法では、自殺未遂など命にかかわる事案は「重大事態」とし、教育委員会は速やかに第三者委員会を設置しなければならない。
川口市教委の岩田直代指導課長は「学校に対応を任せたのと、男子生徒から事情を聴ける状態ではないと保護者から聞いていたので、設置が遅れた。設置の説明も担当がしたと聞いている」と説明している。
今年六月、学校で加害生徒から謝罪を受ける席が設けられ、いじめにかかわった生徒の半数ほどは謝罪し、関係は改善した。一方、その席で「自殺を他人のせいにするな」と非難する保護者もいたという。母親は「息子の望みは、いじめた生徒から謝罪をしてほしいだけなのに、かなえられない」と悔しさをにじませた。 (浅野有紀、柏崎智子)

渡部清花 難民と未来をつくるNPO代表:あの人に迫る:中日新聞(2018年10月12日)

http://www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2018101202000250.html
https://megalodon.jp/2018-1013-0933-23/www.chunichi.co.jp/article/feature/anohito/list/CK2018101202000250.html

◆偏見を取り除き活躍の場つくる
紛争や迫害から逃れて、日本で難民申請する人は年間約二万人。中には、母国で技術者や研究者などとして働いていた人もいる。二年前に難民の社会参加を促すNPO法人を立ち上げた渡部清花さん(27)は、彼らの住む場所の確保や市民と対話の場を設け、企業とマッチングして就労につなげている。「難民はかわいそうではなく、可能性のある人たち。一緒に生きやすい社会をつくりたい」と理想を描く。

−WELgee(ウェルジー)の活動を始めたきっかけは。

大学院進学のために上京し、難民申請中の彼らが置かれた状況を知ったことです。結果が出るまで数年をひたすら待ち続け、認定率は極めて低い。公的なサポートはなく、住む場所がなくホームレス状態となり、知り合いもいない孤独の中で絶望する人もいます。
私の中にも、難民への偏見があったと思います。アフリカのコンゴ共和国出身の男性は、ぱりっとしたスーツをきて、胸ポケットに赤いハンカチが入っていておしゃれ。彼は牧師でエンジニアで、女の子を性的暴力から守るための非政府組織(NGO)で働いていました。日本語教室で初めて会ったとき、イメージの中の「難民」とは違いました。私が大学で平和学を勉強していると伝えたら、「すごく興味がある。僕の国には平和がないから」と。人身売買、市民の殺りく、彼が経験したことは壮絶でした。
他にも、母国で修士号を取ったり、エンジニア、企業経営者など、知見や経験が豊かな人がたくさんいます。社会を良い方向に変える人になれます。来日した彼らが国籍、人種、宗教の違いを超えて一緒に未来を築ける社会にしたい。ウェルジーは、WELCOME(ようこそ)とrefugee(難民)の造語で、歓迎の気持ちを込めました。

−難民に悪いイメージを持つ人もいます。

難民は、「難しい民」と書きます。日本社会の反応は大きく分けて、「かわいそう」と「怖い」。貧困で教育もなくかわいそうという目線と、テロ予備軍で日本の治安が悪くなる心配。彼らにも「日本人は難民のことを知らない」と言われました。仲良くなった日本人に難民だと打ち明けたら、連絡がつかなくなる。病院でも難民だと分かると、対応がすごく冷たくなったそうです。彼らが難しい人ではなく、置かれた環境が難しい。希望を持って日本に来た人たちのことを伝えたいと、難民の人と語り合うウェルジーサロンを始めました。二〇一六年十月から毎月一回開いて、参加者は延べ千人を超えました。年齢層は中学生からシニアまで、職業も大学教授から看護師、通訳など幅広い。多くが難民と話すのが初めてです。サロンの統括を担っている大学生でさえ、「難民の人って笑うんですね」と言ったくらいです。
社会が無関心なのは、知るきっかけがなかったから。そのきっかけを多くつくりたい。難民って聞いたときに誰かの顔が浮かべば、心に引っ掛かっていくと思うからです。

−難民の人に住む場所を提供し、一般家庭にホームステイする活動も。

来日してすぐは知り合いはいないし、お金もない。アパートを借りるにも保証人がいなくてホームレスになったり、二十四時間営業のお店でコーヒー一杯を買って一夜を明かす人もいます。何とかしたいと、都内に短期的に受け入れるシェルターを開設し、私も含めてウェルジースタッフが一緒に暮らしています。
千葉県には空き家を購入して、自立の準備のために中長期で暮らすシェアハウスを造りました。費用はクラウドファンディングでまかない、リフォームも自分たちでやりました。今後は難民の人だけでなく、シングルマザーや高齢者など住宅が借りられず困っている人も受け入れていきたいと考えています。
初期のころに始めたのはホームステイ。難民申請中の人の中には、政府に拷問されて人を信用できなくなった人もいます。日本人と一緒に暮らしてご飯を食べて、人をもう一度信頼できるようになり、社会につながる仕組みをつくりたかった。難民受け入れの先進地のドイツへ視察に行ったら、同じことをしている団体がありました。すでに千件を超える実績があり、十カ国以上でネットワークをつくっています。日本でも少しずつ増えて、これまでに十都道県の二十家族が受け入れてくれました。

−もともとマイノリティーに関心があった。

七歳のときに母とバングラデシュに行ったことがあり、同じ年ごろの女の子がプラスチックのバケツで茶色く濁った水を売っていた。自分とあまりにも違うことに驚きました。貧富の差、経済格差について関心を持ち、国際関係論を勉強したいと思うようになりました。実家がNPOで、虐待などで親と暮らせない子たちと過ごす時間が多かったことも大きいですね。いろんな背景を持つ子どもたちに出会い、社会を見る角度が増えたんだと思います。

バングラデシュはアジア最貧国。そこで大学時代に先住民族の村に滞在し、教育支援のNGOを立ち上げました。

三年生の夏に二週間。首都からバスで十二時間の場所にあるチッタゴン丘陵地帯で、現地のNGOを訪ねました。かつては先住民族と政府の紛争地で、和平協定が結ばれました。でも、帰国する日に武力衝突が起きて戒厳令が出た。軍と交渉して首都まで戻ってこられたけど、紛争地は常に爆弾が降っている場所だけじゃないと分かりました。
それから大学を休学して、一年間はNGOの駐在員として滞在。親を亡くした子どもが学校に通えるように奨学金や里親制度をつくりました。その後さらに一年間、国連機関のインターンとして平和構築に関わりました。絶対中立の国連は、政府が先住民族を弾圧していても介入できない。和平協定は守られずに武力衝突がいまも起きている。国家が守らない人の存在を知ったことが、東京大大学院で人間の安全保障を専攻するきっかけになりました。

−難民申請中の人の就労のため、企業とのマッチングに力を入れている。

難民には能力や経験を持つ人が多く、企業とつなげ、法的地位を固めることが大事です。難民申請中は不安定で、就労許可を取り消されたり、在留資格を剥奪されたりします。そして、99%は不認定となります。難民として認定されるべき人が守られる制度の存在がまず第一ですが、紛争中の祖国には帰れない人にとって、難民認定以外の人生の選択肢が必要です。だから、技術のある外国人として働く仕組みにしたい。
実際に、プログラマーやエンジニアとして三人が採用されました。彼らはいつか祖国を立て直したいとか、今いる日本に貢献したいという志があります。安定して就労できる在留資格が得られれば、いつか彼らの国が平和になって戻れる日が来るまで、彼らの能力や経験を日本で生かすことができます。
生まれた環境や境遇にかかわらず、やりたいことができることが理想です。難民の人が生きやすい社会って、障害のある人、シングルマザー、学校に行けなくなった人、いろんな背景を持つ人がともに生きやすい社会でもあります。いろんな境遇の人が、自分で第二の人生を歩み出せる。そんな世の中を一緒につくっていきたいと思っています。

<わたなべ・さやか> 1991年、浜松市生まれ。東京大大学院修士課程に在学中。静岡文化芸術大3年時にバングラデシュ先住民族の村で教育支援を行うNGO「ちぇれめいえプロジェクト」を立ち上げ、現地駐在員として2年間滞在。国連開発計画(UNDP)のインターンとして、平和構築プロジェクトにも関わった。
2016年に任意団体WELgeeを設立し、18年2月にNPO法人化。フォーブスジャパン主催の「日本を代表する30歳未満の30人」に社会起業家部門で選出された。活動はホームページで発信している(「ウェルジー」で検索)。

◆あなたに伝えたい
社会が無関心なのは、知るきっかけがなかったから。そのきっかけを多くつくりたい。難民って聞いたときに誰かの顔が浮かべば、心に引っ掛かっていくと思うからです。

◆インタビューを終えて
浜松市の東海本社にいたころ、大学生だった渡部さんに何度か取材した。「難民ホームステイを考えているんです」。二〇一六年春、大学院進学のために東京で新生活を始めていた彼女から、ウェルジー設立の構想を聞いた。「難民」という言葉にピンとこなかった一人だ。

今回、千葉県のシェアハウスを訪ねると、管理人であるアフリカ出身の男性がいた。「自己紹介しましょう」と彼女に促され、簡単な日本語で名前や出身地を話し、握手を交わした。私の中でぼんやりした難民のイメージが明らかに変わった。傍らで、渡部さんがほほ笑んでいた。 (河野紀子)

外国人労働者に新資格 実習制度の矛盾どうする - 毎日新聞(2018年10月13日)

https://mainichi.jp/articles/20181013/ddm/005/070/030000c
http://archive.today/2018.10.13-003414/https://mainichi.jp/articles/20181013/ddm/005/070/030000c

外国人労働者の受け入れ拡大に向け、新たな在留資格などを定めた関連法案の骨子を政府が示した。
従来、日本は単純労働者を基本的に受け入れてこなかった。その陰で途上国から受け入れた技能実習生や留学生のアルバイトなどで労働力を補ってきた。
しかし、深刻な人手不足に対応しきれなくなり、業界の要望を受け、農業や介護、漁業など14分野で受け入れを検討することになった。コンビニエンスストア業界も手を挙げている。建前を崩して政策転換に踏み切ったと言えよう。
骨子案によると、一定の日本語能力の試験に合格すれば、「特定技能1号」の資格が与えられ、5年間の滞在が可能になる。さらに、熟練した技能があると認められれば、「2号」の資格が得られ、長期の滞在や家族の帯同が認められる。
同時に、受け入れ先企業に日本人と同等以上の報酬を支払うことなど雇用契約で一定の水準を求める。日本での生活を支援する態勢を強化するという。その通りならば外国人労働者のメリットは確かに大きい。
日本で働く外国人は昨年、127万人に上った。10年前の倍以上だ。このうち、大学教授や医師ら「高度な専門人材」として在留資格を持つ人は約23万人で、事実上就労目的の技能実習生や留学生が約54万人を占めている。
技能実習制度は日本で学んだ技術を祖国に持ち帰るというのが建前だ。しかし、実態は日本での労働力の補完になっている。新制度の下でも、この矛盾は温存される。
実習生は3年間の経験があれば、試験なしで「特定技能」に資格変更が可能になる。最長5年まで働ける実習生が「1号」に資格を変更すれば10年間日本で働ける。実習生の滞在期間を延ばすのが新制度の狙いのようにも見える。
母国のブローカーに多額の仲介料を搾取されたり、低賃金で過酷な長時間労働を強いられたりする実習生は今も少なくない。一つの職場に「特定技能」の資格を持つ労働者と、実習生が混在することもあり得る。外国人労働者の間で大きな格差を生んでしまうことになりはしないか。
在留資格を巡る複雑な問題に政府は正面から向き合うべきだ。

首相と沖縄知事が会談 まずは政府が譲る覚悟を - 毎日新聞(2018年10月13日)

https://mainichi.jp/articles/20181013/ddm/005/070/027000c
http://archive.today/2018.10.13-003619/https://mainichi.jp/articles/20181013/ddm/005/070/027000c

安倍晋三首相が沖縄県知事に就任した玉城(たまき)デニー氏と首相官邸で会談した。菅義偉官房長官も同席した。
4年前、首相は翁長雄志(おながたけし)氏の知事就任時に4カ月会談せず、批判を浴びた。玉城氏との会談が就任1週間余りで実現したことは評価したい。
ただし、形だけの対話では意味がない。米軍普天間飛行場辺野古移設に反対する県側の訴えに耳を貸すことなく、政府側が埋め立て工事を強行すれば、国と沖縄の不毛な対立がさらに4年間続くことになる。
会談で玉城氏は、2回の知事選で示された「辺野古ノー」の民意に真摯(しんし)に耳を傾けるよう求めたが、首相は「政府の立場は変わらない」と答えた。これまでと同じ平行線だ。
移設計画の白紙撤回か、断固推進か。双方がオール・オア・ナッシングの姿勢では出口が見えない。
玉城氏は日米安保体制を認める立場を強調した。「反米」「反基地」などのイデオロギーで移設に反対しているのではなく、全国で担うべき基地負担が沖縄に集中している理不尽を問うている。玉城氏が民主主義の問題だというのは理解できる。
沖縄のアイデンティティーを尊重してほしいという訴えなのに、政府が決めた移設計画を唯一の選択肢だといって一方的に押しつけるから、かみ合わない。アイデンティティーをないがしろにされた沖縄の怒りを解くには真摯な対話しかない。
玉城氏の求めた「話し合いの場」を政府は早急に設ける必要がある。そこで何らかの譲歩策を示さないことには一歩も前に進まない。
選挙で示された民意を尊重するのが民主主義であり、まずは政府側が譲る覚悟を見せるべきだ。
玉城氏は辺野古移設と切り離した「普天間飛行場の5年以内の運用停止」も提起した。5年前に埋め立てを承認した仲井真弘多(なかいまひろかず)元知事が主張したものだが、代替施設なしに米側が受け入れる見通しは立たない。
在日米軍に特権を認めた日米地位協定の見直しも含め、玉城氏の要望内容は政府に米側との交渉を促している。玉城氏の提案した政府・米軍・沖縄県の3者による協議会設置も米側に働きかけてみてはどうか。
米軍にとっても、地域住民の理解が得られない状態での駐留は決して望ましくないはずだ。

政権と沖縄 強硬策では展望開けぬ - 朝日新聞(2018年10月13日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S13720940.html
http://archive.today/2018.10.13-003918/https://www.asahi.com/articles/DA3S13720940.html

就任直後の新知事と対話の機会を設けはした。しかし、米軍普天間飛行場辺野古移設を進める従来の立場を変えないのでは、知事選で示された明確な民意に向き合うつもりはないと見るしかない。
安倍首相がきのう、首相官邸を訪れた沖縄県玉城デニー知事と会談した。4年前に翁長雄志(おながたけし)知事が就任した時は4カ月も面会の要請に応じず、県との対立が深刻化した。
今回の対応は、知事選で連続して「辺野古ノー」の民意が鮮明になったことを、政権としてそれなりに重く受け止めてのことだろう。
知事選では、玉城氏が過去最多の39万6632票を獲得し、自民、公明両党が全面支援した候補に8万票の大差をつけた。辺野古埋め立てに向けた工事に着手した後も、県民の多くがあきらめることなく、ノーの意思表示をした。
きのうの会談で玉城氏は辺野古移設に反対の立場を伝えた。これに対し、首相は「政府の立場は変わらない」と応じたという。これでは、県との深い溝を埋めることはできない。
政府がやるべきことは、県が8月末に埋め立て承認を撤回したため、現在は止まっている辺野古の工事を、これ以上強行しないと約束することだ。政府は裁判に持ち込んで工事を再開させる構えをみせているが、そんなことをすれば、県との対話の土台は崩れてしまう。
埋め立て予定地で見つかった軟弱地盤の問題も大きい。今後、設計や工法の変更が必要になっても、県の協力を得られる見通しはない。工事は長期化する可能性が高く、強硬姿勢のままで展望は開けない。
政府は今度こそ「辺野古が唯一の解決策」という硬直した方針を改めねばならない。日米合意を見直すのは簡単ではないだろうが、地域住民のこれだけ明確な意思に反して基地を押しつけることは、民主主義の観点からも許されない。
米政府に協議を呼びかけ、辺野古案を白紙にして、代替策を探る必要がある。沖縄の海兵隊はアジア太平洋地域を巡回しており、拠点を海外に移したり、県外・国外に機能を分散させたりすることは可能なはずだ。
その際、在日米軍にさまざまな特権を認めている日米地位協定の改定も提起すべきだ。知事選では、玉城氏のみならず、政権が推した候補も公約の柱に据えた。与党公明党は具体的な見直し案をまとめ、政府に申し入れている。これ以上、放置してはならない。

(知事・首相初会談)対話解決しか道はない - 沖縄タイムス(2018年10月13日)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/329247
https://megalodon.jp/2018-1013-0946-24/https://www.okinawatimes.co.jp:443/articles/-/329247

玉城デニー知事がきのう安倍晋三首相と初めて会談した。4カ月余りも対話を拒まれた翁長雄志前知事の時とは違って、就任から9日目の会談である。
冒頭、玉城氏は米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設について「選挙で新基地建設は認められないという民意が改めて示された」と述べ、新基地に反対する意思を伝えた。
これに対し安倍氏は移設を進める「政府の立場は変わらない」と語り、対話は平行線に終わった。
今回、政府が早期会談に応じたのは、翁長氏を無視し続けたことに対する県民の批判の根強さや、14日の豊見城市長選、21日の那覇市長選への影響を考慮し低姿勢をアピールする必要があったからだ。
安倍氏は「戦後70年たってなお、米軍基地の多くが沖縄に集中し大きな負担を担ってもらっている」とした上で、「この現状は到底是認できるものではない」と語った。「県民の気持ちに寄り添いながら負担軽減に向け一つ一つ着実に結果を出していきたい」とも強調した。
翁長氏の県民葬で菅義偉官房長官が代読した首相の追悼の辞と同じ表現を使って説明したのである。菅氏の追悼の辞に対し、会場のあちこちから「うそつけ」などと激しい怒声が飛んだ、その事実を安倍氏は知った上で使ったのだろうか。 
言葉だけの丁寧な対応はいらない。県民の沖縄戦体験や米軍統治下の体験に安倍氏自身が向き合い、知事選で示された民意に謙虚であることが出発点であり、それなくして対話は成立しない。

■    ■

玉城氏は安倍政権が支援する候補に8万票を超える大差で勝利した。
しかし政府は知事選で連続して示された新基地建設反対の民意には背を向け、「辺野古が唯一」という主張を何の説明もなく繰り返すだけである。
工事を強行し既成事実を積み上げれば、「あきらめ感」が広がると考えているかもしれないが、今度の知事選が突き付けたのは安倍政権の基地政策に対する明確なノーの意思だ。
豊見城那覇市長選終了後、法的対抗措置に踏み切り、工事を強行しようと考えているのなら、法律を盾にした民主主義の破壊と言わざるを得ない。
むしろ辺野古固執することが、今後の日米安保体制に禍根を残すことになるだろう。

■    ■

日米安保のための基地なのに、なぜ沖縄だけが負担を背負わなければならないのか。
会談で玉城氏は「安保の負担は全国で担うべきであり、早急に話し合いの場を設けてほしい」と要請した。
今回の会談が単なる政治的演出でないというのなら、安倍氏が言う「到底是認できない」現状を変えるための実質的対話を進めるべきだ。普天間の危険性除去が大切というのなら、安倍氏仲井真弘多元知事と約束した5年以内閉鎖を優先すべきだ。
新しい対話環境をつくりだすのは政府の義務であり、対話による解決しか道はない。

異例、安倍首相のスピード会談の狙いは? 沖縄・玉城知事と30分【深掘り】 - (2018年10月13日)

(1/2)https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/329257
(1/2)https://megalodon.jp/2018-1013-0948-01/https://www.okinawatimes.co.jp:443/articles/-/329257

(2/2)https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/329257?page=2
(2/2)https://megalodon.jp/2018-1013-0949-33/https://www.okinawatimes.co.jp:443/articles/-/329257?page=2

玉城デニー沖縄知事が就任からわずか9日目にして安倍晋三首相と会談した。翁長雄志前知事は、政府高官に会うのに就任から約4カ月を要するなど首相が政権に批判的な立場の首長と就任直後に会談するのは異例。辺野古新基地建設へのスタンスを巡っては県と国は平行線をたどるが、沖縄に配慮する姿勢を全国に示すことで、来年の統一地方選参院選への影響を抑える狙いがあるとみられる。(東京報道部・上地一姫、大城大輔、政経部・銘苅一哲、大野亨恭)

知事と首相の会談は当初15分の想定だったが30分に延びた。その後、衆院議員時代に活動をともにし知事選で支援を受けた国政野党を訪ねた玉城知事は、首相の言葉として「元々自民党にいた翁長前知事が向こう側にいったという意味では、非常にもやもやがあった。(玉城知事は)最初から立場は違うが穏健に国会活動していた」と伝えられたと紹介し、今後の対話に自信をみせた。
だが「首相が面会を急いだのは、国内世論を意識した結果だ」。自民党幹部は、玉城氏就任の翌週という「スピード会談」実現の背景をこう解説した。安倍首相は24日召集の臨時国会改憲論議の加速を目指す。悲願の憲法改正を実現するためには、安定した支持率が欠かせない。
政府が全面支援をした候補を玉城知事が破ったことで、水面下で支援した野党は安倍政権の姿勢を追及しようと手ぐすねをひく。政府関係者は「一度会えば、野党に痛くもないことをつつかれることはなくなる」と説明する。
また基地問題は「沖縄の問題」と矮小(わいしょう)化し、本土への飛び火を押さえ込めば「大勢に影響することはない」(党関係者)との見方だ。幹部の一人は「まずは対話する姿勢を見せておけば本土に『同情論』は広がらない。きょうの面会は4年前の反省を踏まえ、大成功だ」と胸をはった。別の関係者も「知事選で沖縄への関心は薄れた。基地問題も振興策も政府が沖縄のためと思うことをやるまで」と説いた。政府高官は今後の対談について「しばらくない」と話す。
対抗措置の時期
対話の場は持てたが辺野古では互いの立場を主張し合うにとどまった。防衛省幹部は「こうなるしかない。必要なのは普天間をどうするかという解だ。民意も重要なファクターだが、それだけでは決められない」と話した。一方、県幹部は「前県政で撤回に踏み切ったので、ボールは政府にある」と述べ、撤回に対する執行停止など法的な対抗措置のタイミングを気に掛ける。県庁内では14日の豊見城市長選や21日の那覇市長選までは対抗措置を見送るとの見方がある。県首脳も「那覇市長選までは動けないだろう。ただ、時期が遅れるほど、執行停止の要件となる緊急性の根拠は薄れる」と指摘した。
玉城知事は自由党小沢一郎代表に「私たちの船出は始まったばかり。代表、まだまだ引退できませんよ」と水を向け、共産党では「将来の政権交代を目指す歩みに、微力だが加わることができれば」と野党共闘を後押しする考えを表明した。志位和夫共産党委員長は「政権交代できたら沖縄問題はいっぺんに解決する」と応じた。
玉城知事は、国会との連携など経験を生かし翁長前知事とは異なる方法で辺野古問題の打開策を探る。

首相が民意を拒絶 強権国家と変わらない - 琉球新報(2018年10月13日)

https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-817871.html
http://archive.today/2018.10.13-004621/https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-817871.html

玉城デニー知事が就任後初めて安倍晋三首相と会談した。知事は、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設に反対を表明し、話し合いの場を設定するよう求めた。これに対し首相は「政府の立場は変わらない」と述べ、沖縄側の要求をはねつけた。失望を禁じ得ない。
過去最多得票で当選した玉城知事の後ろに控えているのは沖縄の圧倒的な民意だ。これほど強い反対の意志が示されたにもかかわらず、なおも新基地建設を強行するなら、強権国家と変わらない。
この間、沖縄が問い掛けてきたのは、日本の民主主義が本物かどうかという1点に尽きる。「県外移設」の公約を覆した元知事の埋め立て承認を盾に、ごり押しすることが民主国家としてふさわしい振る舞いなのか。良心に照らしてよく考えてほしい。
安倍首相は、米軍基地の多くが沖縄に集中する現状について「到底、是認できるものではない」と述べた上で「県民の気持ちに寄り添いながら、基地負担軽減に向け一つ一つ着実に結果を出していく」と強調した。
過重な基地負担を「是認できない」と受け止め、「県民の気持ちに寄り添う」と言いながら、沖縄だけに基地を押し付ける。言っていることとやっていることが180度違っている。
おためごかしの言辞を弄(ろう)する首相の態度は一方の手で握手しながら、もう一方の手で殴打するようなものだ。
菅義偉官房長官からは脅しとも取れるような発言があった。普天間飛行場辺野古移設が遅れれば、海兵隊員9千人のグアムなどへの移転にも影響が生じるとの認識を示したのである。
グアム移転については、民主党政権だった2012年に日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、普天間飛行場移設の進展から切り離すことが合意された。
移設の進み具合にかかわらず、海兵隊の移転を実行することは国家間の約束だ。安倍政権下の13年、岸田文雄外相、小野寺五典防衛相が米国の国務、国防両長官とともにグアム移転協定を改正する議定書に署名している。
官房長官の発言は、日米合意が金科玉条ではないと宣言したに等しい。普天間飛行場辺野古移設についても、その気になれば軌道修正できるわけだ。
沖縄は普天間飛行場の4倍以上の面積を持つ極東最大の米空軍基地・嘉手納基地をはじめ多くの基地を抱えている。あたかも普天間飛行場が撤去されれば沖縄から米軍基地がなくなるかのような、誤った言説を弄する人がいる。
沖縄から見れば、普天間の返還は、ごくささやかな要求にすぎない。
沖縄も日本の一県である以上は、民意が尊重されてしかるべきだ。問答無用の対立からは、不信と憎悪しか生まれない。

<金口木舌>テイラー・スウィフトさんの政治的発言 - 琉球新報(2018年10月13日)

https://ryukyushimpo.jp/column/entry-817820.html
http://archive.today/2018.10.13-004416/https://ryukyushimpo.jp/column/entry-817820.html

よほど腹に据えかねたのだろう。米人気歌手テイラー・スウィフトさんが11月の中間選挙で野党民主党の候補に投票するとインスタグラムで表明した

▼「この国で生きる人たち全てが享受する人権を守るため」。スウィフトさんは理由を説明する。ニュースサイト、ハフィントンポストは「これまで『政治に無関心なポップスター』として悪名高かった」とスウィフトさんを評していた
▼日本では芸能人が政治的な発言をすることは珍しい。政治的発言をすると「偏向している」「炎上商法」などと批判や中傷にさらされるからだ。米国は、そんな日本の芸能界とは趣を異にする
▼スウィフトさんが特に問題視したのは「差別」。性的少数者「LGBT」への差別について「間違っている」と断言し、ゲイカップルに結婚する権利がないとの考えを示す共和党候補を批判した
▼LGBTに対する差別は国を問わず存在するが、とりわけ問題なのは政権与党側に「生産性がない」と発言するなど、差別を是とする政治家が存在することだ。権力者が少数派を差別すれば、少数派を排除する空気が社会に醸成されかねない
▼県内では那覇市が2015年に、浦添市が17年に性の多様性を尊重するレインボー宣言を発表した。民主国家の理想は「全ての人がすみよいまち」。中傷やデマではなく、自由に理想を語れる社会にこそ健全さを感じる。

羽田空港 新飛行ルート 日米の調整難航で運用できないおそれ - NHK(2018年10月4日)

https://ameblo.jp/minatono-kai/entry-12409504266.html

東京オリンピックパラリンピックに向けて、羽田空港の国際便の発着便を増やすための新たな飛行ルートをめぐって、日本とアメリカの間の調整が難航し、運用できないおそれが生じていることがわかりました。政府内からは、外国人旅行者を2020年までに4000万人にするという目標に影響が及ぶことを懸念する声も出ています。
東京オリンピックパラリンピックに向けて、政府は、羽田空港の国際線の発着便を大幅に増やそうと、先に東京都心の上空を通過する新たな飛行ルートを2020年までに設ける方針を決め、関係自治体などを対象に説明会を開くなどして理解を求めています。
一方、この新たな飛行ルートは、在日アメリカ軍横田基地が航空管制を行う空域を一時的に通過することから、政府は、羽田空港を発着する航空機の上空通過を認めるとともに、航空管制も日本側が行うことを前提に、アメリカ側と調整を続けてきました。
しかし、アメリカ側が、ことし夏ごろになって、上空通過も日本側が航空管制を行うことも認められないという意向を伝えてきたため、飛行ルートが運用できないおそれが生じていることが政府関係者の話でわかりました。
このため政府は、危機感を強めアメリカ側との協議を続けていますが、事態打開の見通しはたっておらず、政府内からは、安倍政権が掲げる外国人旅行者を2020年までに4000万人にするという目標に影響が及ぶことを懸念する声も出ています。

関連サイト)
羽田新ルート|日米の調整難航で運用できない!? - (2018年10月4日)
https://1manken.hatenablog.com/entry/2018/10/04/nichibei-chousei-nankou

(横田空域)羽田空港の新飛行ルート、アメリカが拒否!米国「日本の上空通過も管制も認めない」 - 情報速報ドットコム(2018年10月4日)
https://johosokuhou.com/2018/10/04/9530/

東京湾の空港
東京オリンピックや急増している外国人観光客に合わせて、日本政府は羽田空港の発着便を増やすために新たな飛行ルートを検討していましたが、在日アメリカ軍が関東地方上空の飛行ルートを拒否したことで難航していることが分かりました。

問題となっているのはアメリカ軍が抑えている首都圏上空の「横田空域」で、日本政府は羽田空港の新飛行ルートとして横田空域の一部を利用する案を提示するも、アメリカ側は上空通過や日本の管制を全て拒否すると返答。

横田空域(横田進入管制区)は1都8県(東京都・栃木県・群馬県・埼玉県・神奈川県・新潟県山梨県・長野県・静岡県)にも及ぶ広大な管理区域で、この空域はアメリカ空軍の管制下となっています。
民間航空機であっても当該空域を飛行する場合は米軍による航空管制を受ける必要があり、戦後からずっと日本の心臓部の飛行ルートが全く使えない状態になっているのです。

既に横田空域を回避する太平洋側のルートは限界寸前で、新しい飛行ルートを設定するには横田空域を通る必要があります。日本政府にとって外国人観光客は最重要政策の一つでもあることから、アメリカに横田空域の利用を拒否されたのはかなりの痛手だと言えるでしょう。

今後も横田空域を利用を目指してアメリカと交渉を続けるとしていますが、同時に独立国の日本が空の大部分をアメリカによって牛耳られているという現実を見せつけられた印象があるところです。