松橋事件、再審確定 最高裁 85歳男性、無罪の公算 - 東京新聞(2018年10月13日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018101302000118.html
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熊本県松橋(まつばせ)町(現宇城市)で一九八五年、当時五十九歳の男性が刺殺された「松橋事件」の再審請求審で、最高裁第二小法廷(菅野博之裁判長)は、殺人などの罪で懲役十三年が確定し、服役した宮田浩喜さん(85)の裁判のやり直しを認める決定をした。十日付で検察の特別抗告を棄却した。事件発生から三十三年余りを経て再審開始が確定した。裁判官四人全員一致の結論。
熊本地裁福岡高裁とも、弁護団が提出した新証拠により「自白の信用性は崩れた」として再審を認め、最高裁も支持した。熊本地裁でやり直される公判で殺人罪が無罪となる公算が大きい。
宮田さんは将棋仲間を殺害したとして起訴された。捜査段階で自白したが、一審公判から全面否認に転じた。九〇年に最高裁で有罪が確定した。
有力な物証はなく、自白の信用性が争点だった。再審請求で弁護団は「凶器の小刀に布を巻き付けて刺した。布は燃やした」との自白は信用できないと主張。燃やしたはずの布きれが検察保管の証拠物から見つかったことや、小刀の形状と遺体の傷が一致しないとした鑑定書を新証拠として提出した。二〇一六年六月の熊本地裁決定は、これらの新証拠を基に「自白の重要部分が客観的事実と矛盾する疑義が生じた」として再審を認めた。一七年十一月の福岡高裁決定も「自白の信用性が大きく揺らいだ」として支持した。
事件は八五年一月に発生。首などを刺された岡村又雄さんの遺体が自宅で見つかり、宮田さんが逮捕された。八六年十二月の熊本地裁判決は自白の信用性を認めて懲役十三年とし、九〇年一月に最高裁が上告を棄却した。宮田さんは服役後の九九年三月に仮出所。認知症のため、成年後見人の弁護士が一二年に再審請求していた。

◆証拠開示 制度化を
三十三年もの間、殺人犯の汚名を着せられている宮田浩喜さんを再審開始に導いたのは、捜査機関が長年隠してきた証拠物の存在が偶然、明らかになったことだった。一昨年の法整備で公判での証拠開示には一定の前進があったが、再審請求審は置き去りにされたまま。冤罪(えんざい)を防ぐためにはルールづくりが急務だ。
一九八五年に起きた松橋事件で、捜査機関が宮田さんを犯行と結びつけた直接証拠は「自白」だけ。それも当初は否認していたにもかかわらず、警察は宮田さんを連日任意で聴取し、「小刀の柄に血が付くのを防ぐため、シャツの布を切り取って柄に巻いて刺した。布は燃やした」との自白を引き出した。弁護団は再審請求の準備を進めていた九七年、熊本地検に「証拠物の衣類を見せてほしい」と求めた。すると検察官は、開示義務はないにもかかわらず、大量の証拠物を任意で開示。その中には、ないはずの「布」も含まれていた。
弁護団の斉藤誠弁護士は「公判では隠し続けてきたのに突然出してきた。検察官が勘違いしたとしか思えない。検察内部の引き継ぎがうまくいっていなかったのだろう」とみる。
二〇一六年施行の改正刑事訴訟法では、検察側が集めた全証拠のリストを弁護側に交付する制度が導入された。これまで検察側に不都合な証拠は存否すら分からなかったが、仮に無実だった場合、弁護側は冤罪を証明する糸口を見つけやすくなった。ただ、再審請求審は制度の対象外だ。宮田さんの次男は「父は人に迎合するタイプではない」と言い切る。それでも厳しい取り調べの末、自白に追い込まれた。再審の扉を開くきっかけが、偶然であってはならない。証拠開示の制度化が求められる。 (池田悌一)