NHKが五輪開催のメリットのトップに「国威発揚」と報道、ナチスドイツ下のベルリンオリンピックを完全トレースと大炎上 - BUZZAP!(2016年8月23日)

http://buzzap.jp/news/20160823-tokyo-olympic-enhancing-national-prestige/

今回NHKが堂々と放映したオリンピック開催のメリットの筆頭に「国威発揚」を挙げるという行為は、近代オリンピックが過去の苦い経験への反省から作り上げたオリンピックの精神を土足で踏みにじるもの。どこぞのまとめサイトが書き散らしたのならともかく、仮にも次期オリンピック開催国の公共放送が全国ネットで放映していい内容では断じてありません。

福一汚染水アンダーコントロール発言に始まり、新国立競技場建設に関するドタバタ劇からエンブレム盗作問題、当初予定の6倍の1.8兆円にまで膨らんだ巨額の費用負担問題、さらには招致に関する裏金問題まで飛び出している東京オリンピックですが、このNHKの「国威発揚」報道も、リオ五輪閉会式での安倍マリオの登場というあまりに分かりやすいオリンピックの政治利用と絡んで大きな問題となりそうです。

安保法、自衛隊訓練を順次実施へ まず「駆けつけ警護」 - 朝日新聞(2016年8月24日)

http://www.asahi.com/articles/ASJ8S0D5WJ8RUTFK00T.html
http://megalodon.jp/2016-0824-1518-57/www.asahi.com/articles/ASJ8S0D5WJ8RUTFK00T.html

政府は24日、安全保障関連法に基づく自衛隊活動の訓練を順次実施すると正式に発表した。11月中旬以降、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣予定の陸上自衛隊部隊が、「駆けつけ警護」の訓練を行う。また、後方支援の手順や態勢を整備した上で、日米共同訓練なども本格化させる方針だ。
稲田朋美防衛相が24日、首相官邸内で記者団に「各種の準備作業に一定のめどがたった」と訓練を開始する理由を述べた。政府は今年3月の法施行後、7月の参院選への影響を考慮して訓練を控えてきたが、与党が勝利したことで環境が整ったと判断した。
駆けつけ警護は改正PKO協力法に盛り込まれ、離れた場所で国連やNGO職員らが武装集団などに襲われた際、武器を持って助けに行く任務。次の派遣が予定される青森駐屯地(青森市)の陸自第5普通科連隊を中心とした部隊が、8月25日から2カ月程度訓練を行う。警告射撃など武器使用の手順を確認するほか、他国軍と協力し、宿営地を警備する「宿営地の共同防護」の訓練も始める。

教科書2社 教員らに歳暮提供 - 毎日新聞(2016年8月23日)

http://mainichi.jp/articles/20160824/k00/00m/040/029000c
http://megalodon.jp/2016-0824-0912-57/mainichi.jp/articles/20160824/k00/00m/040/029000c

教科書会社の教育芸術社(東京)は23日、2012〜15年度、市町村の教育長9人を含む計18都府県112人の公立小中学校教員らに1人当たり最高5600円相当の歳暮を提供していたと発表した。大日本図書(同)も12〜14年度、15都府県の校長を含む国公立小中学校教員ら161人に2000円相当の歳暮を提供していたことを明らかにした。
教育長は教科書の採択権限を持つ教育委員会の責任者で、文部科学省は利害関係がある教科書会社から歳暮を受け取っていたことを問題視している。
発表によると教育長の内訳は千葉、愛知両県が各3人、埼玉、福井、長崎3県が各1人。文科省は「自治体の倫理規定に違反している可能性が高く、事実関係をしっかり調べてほしい」としている。
2社の幹部は23日、文科省で記者会見し、ともに「教科書や指導法などの助言を受けたお礼で、教科書採択の勧誘や見返りを意図したものではない」と釈明する一方で、採択に疑念を抱かせる不適切な行為だったと陳謝。責任者の処分を検討しているとした。報告を受けた文科省は、採択に影響がなかったか各教委に調査を求めた。
歳暮提供は、公正取引委員会が7月、2社を含む教科書会社9社に、教員らに検定中の教科書を見せて金品を渡すなどした行為が独占禁止法違反(不当な利益による顧客誘引)の恐れがあるとして警告した調査で発覚した。しかし文科省の今年1月の調査に報告していなかったため、同省から再調査を求められていた。【佐々木洋】

学力テストで一部生徒の答案除外 沖縄の中学「平均点下がる」 - 東京新聞(2016年8月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016082402000117.html
http://megalodon.jp/2016-0824-0913-37/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016082402000117.html

今年四月に小学六年と中学三年を対象に行われた全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で、那覇市の中学校が、受験した一部の生徒の答案用紙を「平均点が下がる」などを理由に除いて文部科学省に送っていたことが分かった。文部科学省の担当者は「報告を受けていないので答えられない」、沖縄県教委の担当者は「すべて調査したが、報告として上がってこなかった」と話している。
那覇市の教育関係者によると、答案用紙を除外したのは、不登校や授業を休みがちな三年生五人程度。担任らは「指導していないから学力の改善はできない」「(答案用紙を交ぜると)平均点が下がる」などを理由に、これらの生徒の答案用紙を欠席扱いとして除き、残りの受験生の答案用紙を文科省に送った。
関係者によると、少なくとも八年前から複数の中学校でも同様のことが行われていた。関係者は「これまで特に問題にはならなかった」と話している。
沖縄県では、テストが始まった二〇〇七年度当初から都道府県別の成績で最下位レベルが続いていたが、上位の秋田県の授業スタイルにならい、対策を進めてきた。その結果、一四、一五年度と小学六年の成績が躍進。中学三年は最下位レベルだったものの、全国平均との差が縮まっていた。日本教職員組合日教組)や全日本教職員組合(全教)によると、全国の複数の地域でも沖縄県と同様の事例が報告されているという。
今年の全国学力テストは四月十九日に実施。熊本地震の影響があった地域を除き、全国の国公私立の小中学校が参加した。結果は九月に公表される見通し。

参院合区解消論 改憲につなげる強引さ - 東京新聞(2016年8月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016082402000134.html
http://megalodon.jp/2016-0824-0915-56/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016082402000134.html

七月の参院選から導入された「合区」の解消を求める意見が出ている。各都道府県から最低一議員を選出する考えは分からないでもないが、憲法改正につなげるのは強引すぎるのではないのか。
合区とは選挙区を統合することである。七月の参院選では、それまで別々の選挙区だった鳥取・島根両県と徳島・高知両県をそれぞれ一つの選挙区に合区した。
これに対し、全国知事会は七月、地方の声が国政に届きにくくなるとして合区の解消を求める決議を採択した。自民党は合区解消を含む選挙制度の検討チームを九月にも発足させる、という。
しかし、合区は二〇一〇年と一三年の参院選の「一票の不平等」を「違憲状態」と断じた最高裁判決を受け、不平等解消を目指して導入されたものだ。
さらに、憲法は国会議員を「全国民を代表する」と定める。決して「地域の代表」ではない。
合区で自県の代表を送れなくなる可能性が生じることへの抵抗感は理解できなくはないが、憲法に規定のない都道府県の枠組みよりは、憲法に定める「法の下の平等」を優先させるべきであろう。
七月の参院選で最大格差は一三年の四・七七倍から三・〇八倍に縮まったものの、依然、憲法違反だとして選挙無効を求める訴訟がすでに提起されている。
選挙区間の格差を放置したままの合区解消など、論外である。
一方、現行制度を維持した上で不平等を解消しようとすれば、人口減少県の合区が拡大し、大都市圏の定数は増え続ける。定数振り替えによる不平等解消は限界だ。
改正公職選挙法は付則に「一九年の参院選に向け、選挙制度の抜本的な見直しを検討し、必ず結論を得るものとする」と明記している。抜本改革は急務だ。
この際、参院自民党が葬り去ってきた、全国を十程度の地域に分けるブロック制の導入など、抜本改革に向けた検討を直ちに始めるべきだ。残された時間は少ない。
見過ごせないのは、合区解消を憲法改正につなげようとの動きだ。
自民党参院選公約で「都道府県から少なくとも一人が選出されることを前提として、憲法改正を含めそのあり方を検討します」と掲げた。
地方が求める合区解消を、憲法改正の突破口にしようとの魂胆なのだろうが、抜本改革を怠ってきた自らの怠慢を棚に上げ、党是としてきた憲法改正に突き進むのなら党利党略との誹(そし)りは免れまい。

(筆洗)その日は一年のうちで子どもの自殺が最も多い日という - 東京新聞(2016年8月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016082402000136.html
http://megalodon.jp/2016-0824-0922-35/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016082402000136.html

「秋は、根強い曲者(くせもの)である」と書いたのは太宰治である。太宰によれば、<秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル>のであるが、人は夏の炎熱にだまされて、それを見破ることができない。「秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる」
リオ五輪一色の夏だったせいもあるが、閉幕と同時に夏のしまい支度や忍びこんでいた秋に気づく方もいるだろう。子どもたちも夏休みの「閉幕」が迫っていることにあわてふためき、山積みの宿題を前に「秋は、ずるい悪魔だ」と怒っているか。
<算術の少年しのび泣けり夏>西東三鬼。この少年が、大声で泣き叫ばず、シクシクとしのび泣いているのは、算術が解けぬ自分のふがいなさが悔しいからか。宿題をぎりぎりまでほったらかし、やはり、しのび泣いていた経験のある身としては、がんばれよと声を掛けたくなる。
宿題よりも深刻な問題がこの時期にもう一つある。九月一日である。夏休みの期間と関係があろうが、内閣府によると、その日は一年のうちで子どもの自殺が最も多い日という。
秋が夏の間に忍びこむように子どもの心にも抱えきれぬ悲しみが侵入し、それが子どもを連れていってしまう。何としても食い止めたい。
目を凝らす。耳を澄ます。声を掛ける。手で触る。どんな兆候も見逃すまい。これは重い重い大人の夏の宿題である。

柏崎刈羽原発の先行審査を再開 規制委方針 - 日本経済新聞(2016年8月23日)

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDF23H15_T20C16A8PP8000/
http://megalodon.jp/2016-0824-0945-30/www.nikkei.com/article/DGXLASDF23H15_T20C16A8PP8000/

原子力規制委員会は23日までに、東京電力福島第1原子力発電所と同じ型式の原発の中で、東電柏崎刈羽原子力発電所6、7号機(新潟県)について、中断していた先行審査を再開する方針を固めた。並行して安全審査を進めていたほかの原発を持つ電力会社に伝えた。福島第1原発と同じ「沸騰水型」の初の合格が視野に入る。
規制委は今後、施設の耐震性評価など、残された審査項目に人員を優先して振り向ける。ただし中国電力島根原発2号機などの審査は一部継続する予定だ。
規制委の更田豊志委員は、審査終了時期についての「見通しは持てない」と話しており、合格の時期は不透明。地元である新潟県泉田裕彦知事も福島第1原発事故の検証がなされるまで「再稼働の議論はしない」としており、再稼働の時期は予断を許さない。
規制委は昨年8月、沸騰水型の中で柏崎刈羽原発を先行して審査する方針を決めた。しかし今年3月、施設の耐震性評価に「相当の時間を要する」として方針を見直し、ほかの原発と並行して審査を進めていた。今回、耐震性評価の議論を進めるめどが立ち、先行審査の再開を決めたとみられる。

「手を挙げ原発反対を」 福島の高校生らドイツ研修旅行の成果報告:東京 - 東京新聞(2016年8月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201608/CK2016082402000155.html
http://megalodon.jp/2016-0824-0924-02/www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201608/CK2016082402000155.html

東京電力福島第一原発事故を地元の福島県で経験した高校生八人が、脱原発を決断したドイツでの研修旅行を終え二十三日、豊島区内で帰国報告会を開いた。風化しつつある体験を今後も伝えるとともに、ドイツで学んだことを必ず生かすと誓っていた。 (増井のぞみ)
この研修旅行は、福島県の子どもを支援する宮崎市NPO法人「アースウォーカーズ」が「福島・ドイツ高校生交流プロジェクト」として主催した。日程は今月十二日から十二日間。
ドイツでは、風力や太陽光で発電している企業などを巡った。福島の事故の経験を現地の高校生らに英語で語る機会もあった。
二〇一一年の事故の後、ドイツは二二年末までに原発を全廃することを法制化した。一方の日本では、事故などで全ての原発が運転を停止したものの、現在三基が再稼働している。福島市の高校二年、森瑛春(えいしゅん)君は「家の周りではまだ除染作業が続いているのに、再稼働させるのは矛盾だ」と訴えた。「ドイツの生徒は、積極的に手を挙げて意思表示する。原発反対の思いは表現しなきゃ伝わらない」
福島県田村市出身の高校二年、渥美藍(あい)さんは、福島の事故の後、兵庫県に移住した。「放射能を気にするかどうかで、友人関係に溝ができ、両親は離婚した」と明かした。
ドイツでは、意見の違いで戦争は起き、意見の違う人を殺そうとしたのがヒトラーだと学んだ。
「日本では、放射能への意見の違いで、心の戦争が起きている」と実感したという。「これまでの経験を生かし、困っている人と一緒に解決策を見つけるカウンセラーになりたい」と将来の夢を朗らかに話した。

大船収容所の記憶をイラストで伝える 米軍捕虜一団、最後の帰国から71年:神奈川 - 東京新聞(2016年8月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201608/CK2016082402000167.html
http://megalodon.jp/2016-0824-0925-42/www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201608/CK2016082402000167.html

太平洋戦争中の一九四二年から四五年まで、鎌倉市植木に米軍将校らを収容する海軍の大船捕虜収容所があった。捕虜は終戦で順次帰国し始め、最後の一団が同年九月一日に帰国の途に就いてから、間もなく七十一年になる。跡地は宅地になり、痕跡を見つけることは難しいが、住民たちの間で当時を再現したイラストを使い、歴史を語り継ごうとする動きが出ている。 (草間俊介)
「収容所は軍の統制下に置かれ、住民撮影の写真などはない。イラストは私や同級生らの記憶と一致し、歴史を伝える貴重な資料です」
小学校の時に、収容所を見たという郷土史家の関根肇さん(79)はこう話し、手書きのイラストを取り出した。イラストは二十年前に当時六十代の住民(故人)が記憶を頼りに、孫の夏休みの宿題のために描き、その後関根さんらが受け継いだ。
関根さんらによると、収容所は旧小学校の空き校舎が転用された。約八十メートル×約三十メートルの敷地に、コの字形の木造の建物。イラストにはバレーボールコートや捕虜の墓も描かれた。収容所全体が高さ約二メートルの木の塀に囲まれていたが、塀の板には多数のすき間があり、子どもたちは好奇心から中をのぞいたという。
夏は窓が開け放たれ、捕虜が審問される様子などが見えた。周辺は田園地帯で、関根さんは捕虜十人、監視の日本兵四人が一組になって散歩する姿も目にした。「虐待はあっただろうが、捕虜が上級将校ばかりだったせいか、日本の将兵と和気あいあいとやっていたように見えた」
捕虜は地元主催の運動会に出場した。捕虜の中にベルリン五輪(三六年)の陸上五千メートルの米国代表で映画「不屈の男 アンブロークン」の主人公ルイス・ザンペリーニ氏がいた。
同氏は四三年九月から約一年間収容され、その後、他の収容所に移された。同氏も大船収容所では運動会に出場した。イラストには徒競走で一等を取って賞品のサツマイモをもらって喜ぶ姿がある。
このほか、捕虜と住民が塀越しに缶詰と野菜を交換する場面や、終戦直後に米軍がパラシュートで投下したドラム缶入りの援助物資を捕虜と住民が一緒に荷車で集めるなど、捕虜と住民の関わりも描かれている。
中学校で陸上をやっていたという男性(84)も運動会で捕虜たちを目撃し、「ザンペリーニ氏の走るフォームは素晴らしく美しく、強烈な印象として残っている」と振り返る。
関根さんは「大船に捕虜収容所があったことを知る人は少なくなった。イラストを地域のイベントで活用するなどして、地元の歴史を引き継いでいきたい」と話している。

大船捕虜収容所の手書きイラスト。旧小学校の空き校舎が使われていた
<大船捕虜収容所> 正式名は「横須賀海軍警備隊植木分遣隊」。海軍が太平洋戦争で捕虜にした米軍将校らから軍事情報を聞き出すために設置した。捕虜は審問の後、数カ月〜数年で他の収容所に移された。収容者は500〜1000人とみられ、終戦時には米英の135人がいた。捕虜6人が死亡し、日本側の約30人がB・C級戦犯として裁かれた。


シベリア抑留 実態解明に日露連携を - 毎日新聞(2016年8月24日)

http://mainichi.jp/articles/20160824/ddm/005/070/106000c
http://megalodon.jp/2016-0824-0928-42/mainichi.jp/articles/20160824/ddm/005/070/106000c

「原爆の図」で有名な埼玉県東松山市の丸木美術館で、故四国(しこく)五郎さんの作品展が開かれている。原爆をテーマにした絵や詩で知られる四国さんは、いわゆる「シベリア抑留」の体験者でもあり、極寒の中での木材伐採作業などが描かれている。
8月23日は「シベリア抑留の日」である。1945年のこの日、第二次世界大戦は既に終わっていたが、旧ソ連の指導者スターリンが旧満州中国東北部)などから「日本人捕虜」の連行を命じた。国立千鳥ケ淵戦没者墓苑ではきのう、犠牲者を追悼する恒例の集いがあった。
厚生労働省の推計では、約57万5000人が旧ソ連やモンゴルの収容所で強制労働に従事させられた。抑留期間は最長で11年にわたり、最後の帰還者が日本に引き揚げてから今年12月で60年になる。
約5万5000人が現地で飢えや病気のため亡くなった。しかし、身元が特定されたのは約4万人、収容された遺骨は約2万柱に過ぎない。
厚労省は、今年度から人員や予算を増やして調査態勢を強化した。旧満州朝鮮半島北部、旧樺太(サハリン)での死亡者調査も昨年から始まり、名簿に登載されていたうち959人の身元が特定されるなど、一定の成果も見られる。
だが、多くの遺族が知りたいと願う抑留の実態解明にはほど遠い。省庁を超えた政府全体としての取り組みや、民間の研究者も含めた官民協力態勢の構築を重ねて求めたい。
ロシアにも関連資料の発掘を促すなど一層の協力を要請すべきだ。ロシアの研究者も巻き込んで協力態勢を築けば調査はさらに進むはずだ。遺骨収集や墓地整備などでも現地との協力を進めたい。「負の遺産」も連携して解明に取り組めば、日露関係の強化につながるのではないか。
ゴルバチョフ旧ソ連大統領が訪日し、初めて抑留死亡者名簿が提供されてから今年で25年になる。この時に締結された「捕虜収容所に収容されていた者に関する協定」をさらに拡充し、調査態勢の強化につなげられないか。年内にも予定されるプーチン大統領の訪日に向けて、ぜひ検討してほしい。
帰還者の多くが亡くなり、生存者の平均年齢は93歳になった。遺族もまた高齢化している。歴史を次世代に語り継いでいく必要がある。
京都府舞鶴市舞鶴引揚記念館に収められた元抑留者の日誌や遺品などが昨年、世界記憶遺産に指定された。国民の関心を高め、歴史の継承につながっていくことが期待される。ほかにも元抑留者が残した資料は数多い。悲劇を繰り返さないために、貴重な記録と記憶をしっかりと後世に伝えていきたい。

BPO 放送の「自律」守る力に - 毎日新聞(2016年8月24日)

http://mainichi.jp/articles/20160824/ddm/005/070/107000c
http://megalodon.jp/2016-0824-0929-33/mainichi.jp/articles/20160824/ddm/005/070/107000c

放送への苦情や放送倫理上の問題に、放送倫理・番組向上機構BPO)が対応することになっている。その中核を成す放送倫理検証委員会が設置されて10年目を迎えた。
番組への政治介入の動きが強まる中、BPOは放送の自律を守る役割をいっそう果たしてもらいたい。
BPOは、NHKと日本民間放送連盟、民放各局が2003年に設けた第三者機関で、放送界の「お目付け役」とも言うべき存在である。
07年には、関西テレビによる番組捏造(ねつぞう)問題を受け、原因究明のための強い調査権限を持つ放送倫理検証委員会を新設した。
放送倫理検証委が出した決定は、放送局に改善を促す「勧告」など、23件を数える。NHKの報道に絡み昨秋、政府の行政指導を「放送法が保障する『自律』を侵害する行為」と断じた事例なども含まれる。
BPOを巡っては、総務相が「お手盛りも否めない」と批判したり、自民党が政府の関与を検討する構えを見せたりしたことがある。
一方、国連特別報告者が、放送局の監督は、政府でなく独立行政機関が行うよう求めたこともあった。
先進国では放送規制は独立機関が担うのが一般的だが、日本では放送局への許認可や放送停止などの権限が総務相に集中している。それらを改める見通しが立たない状況下で、BPOは公権力による介入の「防波堤」になってきたと評価できよう。
放送倫理検証委は、放送局からの報告や視聴者意見、新聞・雑誌の報道などを基に調査を行う。苦情を受けた場合だけでなく、独自の判断で幅広い問題を扱うことができる。
昨年度、BPOに寄せられた意見は2万2476件にのぼった。各局の自浄作用は十分と言えず、BPOは世論の信頼をつなぎ留めることも期待されている。委員会決定は放送局に反省を求めるだけでなく、国民の理解も得なければならない。
番組による被害の仲裁から、放送界に自ら誤りを正すよう促し、放送行政のあり方を探ることへ、BPOの役割は広がっているのである。
放送倫理検証委の委員は、現在、弁護士や大学教授ら9人。月1回の委員会で多発する問題にどう即応するか。委員選びは放送局の役職員以外で作る評議員会が担当しているが、透明性を高める工夫も必要だろう。
誤報など放送番組の失敗例を分析すると、ジャーナリストの不勉強や経験不足、過剰な視聴者サービス、自己規制が浮かぶという。制作会社頼みの番組作りなど、放送界に共通する構造的な課題も残されている。
放送界は、BPOの決定を誠実に生かすことで自律的に誤りを正す力を見せなければならない。

(余録)東京の高校で生物を教えていた中山伊佐男さん… - 毎日新聞(2016年8月24日)

 
http://mainichi.jp/articles/20160824/ddm/001/070/160000c
http://megalodon.jp/2016-0824-0930-33/mainichi.jp/articles/20160824/ddm/001/070/160000c

東京の高校で生物を教えていた中山伊佐男(なかやまいさお)さん(86)が国会図書館に通うようになったのは33年前だった。目的は数十万ページもある太平洋戦争の米軍資料の中から「TOYAMA」を探すことだった。
旧制中学4年生だった1945年8月2日未明、東京から疎開した先の富山市で米軍機の空襲を受けて、母親と1歳の妹が亡くなった。葬儀はできず、拾い集めた木切れで遺体を焼いた。
なぜ母と妹は焼き殺されたのか。長い間抱えていた疑問を解く糸口は、機密解除で公開が始まった米軍の資料から見つかった。国会図書館が購入した文書を2年がかりで読み込んでいくと、驚くような事実が浮かび上がってきた。
富山空襲は焼失面積当たりで比べると東京大空襲の10倍近い量の焼夷(しょうい)弾が投下され、市街地の99・5%が壊滅していた。母と妹は軍需工場を狙った爆撃の巻き添えになったと思っていたのに、住宅地を焼き尽くすことが目的だったと知る。2人は逃れようのない標的とされていた。
富山だけのことだったのか。他の都市の空襲も調べてみた。米軍は住宅地だけを最も効率良く焼き払う計画を綿密に立てていた。無差別爆撃ではなく住民が標的の爆撃と確信した中山さんは、全国の20都市以上の空襲の実態を調べた。被災者が国家賠償を求めた大阪空襲訴訟では原告団の証拠として提出されたこともある。
生物教師となったのも、母と妹を失った日から「命とは何だろう」と自らに問い続けてきたためだ。空襲で理不尽な死を遂げた人たちの命に思いを巡らせながら、米軍資料から真相を解き明かす日々は戦後71年たったこの夏も続いている。

中山伊佐男さんが語る富山大空襲(NIE)- 北日本新聞
http://webun.jp/card/5074

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