安保法案反対、全国で一斉デモ 国会取り囲み廃案訴え - 朝日新聞(2015年8月30日)

http://www.asahi.com/articles/ASH8Z6HH6H8ZUTIL01W.html
http://megalodon.jp/2015-0830-2132-40/www.asahi.com/articles/ASH8Z6HH6H8ZUTIL01W.html

参院で審議中の安全保障関連法案に反対する市民によるデモが30日、東京・永田町の国会議事堂前を埋めた。主催者発表によると、参加者は12万人で、安保法案をめぐる抗議行動では最大。参加者が歩道からあふれて、警察側が車道を開放した。市民らは国会議事堂を真正面に見据えた車道に帯のように広がり、雨の中、「戦争法案廃案」「安倍政権退陣」と叫び続けた。

安保法案反対 結集 奏でよう 平和の音 - 東京新聞(2015年8月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015082902000113.html
http://megalodon.jp/2015-0830-0838-47/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015082902000113.html

安全保障関連法案に音楽家の有志で反対しようと、作曲家の池辺晋一郎さんらが呼び掛けた「戦争法案に終止符を!音楽人・団体の会」が二十八日、発足した。九月十日には合唱団など百五十人が出演するコンサートを開き、音楽の力で平和への願いを訴える。
会の呼び掛け文では「自衛隊を『殺し、殺される』事態に巻き込ませようとしている」と法案を推し進める政権を批判。「音楽で大きな壁を突き動かそうとしている人々を励ますことはできる。心に警鐘を鳴らす音楽を高らかに鳴り響かせましょう」としている。
九人の呼び掛け人には池辺さんのほか、作曲家の三枝成彰さんや音楽評論家の湯川れい子さんら著名な音楽家が名を連ね、約二百の個人・団体も賛同した。
東京都内で記者会見した事務局の田中嘉治さんは「歌声は生きる力、平和の力だ。音楽で人の心を豊かに、命を大切にしていく。戦争法案に反対の声を上げる」と語った。
九月十日、新宿区内で戦争の悲しみや平和をテーマとした「音楽の夕べ」と題したコンサートを開く。入場料二千円。問い合わせは同会=電03(3200)0106=へ。

安保法案反対の海外在住者 「オーバーシーズ」結成 - 東京新聞(2015年8月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015082802000251.html
http://megalodon.jp/2015-0830-0852-55/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015082802000251.html

安全保障関連法案に反対する海外在住の日本人らが「OVERSEAs(オーバーシーズ)」を結成し、二十八日に東京都内で記者会見を開いて発表した。発起人の武井由起子弁護士は法案が成立すると、海外在住者はテロなどの影響を受ける可能性が高まるが、日本国内の議論に参加しにくいと強調。「国外からの反対の声を届けるプラットホームにしたい」と意気込みを話した。
一週間ほど前からインターネット上で呼び掛け、現在も国外で暮らす人やその経験者らが応じて、約四百人のグループになった。
武井弁護士は「共通するのは危機感。一番影響を受けるのに、蚊帳の外にいる」と指摘。ネットを通じ、国外からの視点を伝えたいという。
法案に反対する活動で注目を集める大学生らのグループ「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」に触発され、オーバーシーズと名付けた。

女性活躍推進法が成立 国・大企業 数値目標義務付け - 東京新聞(2015年8月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015082802000256.html
http://megalodon.jp/2015-0830-0842-28/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015082802000256.html

女性の登用を促すため、大企業や国、地方自治体に数値目標の設定を義務付ける女性の活躍推進法は二十八日の参院本会議で与野党の賛成多数で可決、成立した。採用や昇進の機会を増やして女性に力を発揮してもらい、人口減少によって労働力不足が懸念される中、日本社会の活力を維持するのが狙いだ。仕事と子育ての両立に向けた環境整備を図る。

推進法成立 非正規女性への対応課題 数値目標 中小は努力義務 - 東京新聞(2015年8月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015082902000131.html
http://megalodon.jp/2015-0830-0845-41/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015082902000131.html

女性の活躍推進法が二十八日の参院本会議で成立し、大企業は女性の採用比率など独自の数値目標の設定が義務付けられる。だが日本の企業の大多数を占める中小企業は努力義務にとどまり、働く女性の六割近くを占める非正規労働者への対応も示されていない。どう実効性を持たせるかが鍵となる。

沖縄の歴史 向き合って 映像祭 都内で初開催 - 東京新聞(2015年8月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2015082902000157.html
http://megalodon.jp/2015-0830-0847-02/www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2015082902000157.html

太平洋戦争の沖縄戦から米軍統治時代を経て、今なお続く基地の重圧などを映像で紹介する「沖縄映像祭 in TOKYO〜終わらない戦後」が9月5、6の両日、東京都千代田区の法政大学市ケ谷キャンパスで開かれる。「戦後70年、国策に翻弄(ほんろう)されてきた沖縄を振り返り、日本がこの先どう進むべきかを探る参考になれば」。主催のNPO法人「文化経済フォーラム」理事長の具志堅勝也さん(60)は願う。 (鈴木学)
上映されるのはドキュメンタリー十六作品(二十五〜七十三分)。琉球放送沖縄テレビ琉球朝日放送、NHK沖縄放送局が制作、いずれも放送された。
主な上映作品は、沖縄戦の悲惨な記憶に今も苦しむ戦争体験者に迫る「心にカギをかけていた〜沖縄戦PTSD」(二〇一四年、琉球朝日放送)、昭和天皇の戦況判断に焦点を当てた「遅すぎた聖断〜検証・沖縄戦への道」(一九八八年、琉球放送)、政府の新基地建設の調査強行で反対、賛成に分かれた住民をとらえた「裂かれる海〜動き出した基地建設」(二〇一四年、琉球朝日放送)など。
具志堅さんは元琉球朝日放送の報道制作局長。米軍基地があることが当たり前になってしまった沖縄の若い世代に、当たり前ではなく「なぜ沖縄だけに?」の疑問を抱き、「島の将来を考えるきっかけにしてほしい」と映像祭を始めた。
第一回は二〇一三年十二月に沖縄大学で、今年一月には米軍普天間飛行場の移設先にあがっている辺野古を抱える名護市で開催。県外の開催は長野(八月二十九、三十日)と東京が初めて。
沖縄の戦中戦後を学べるプログラム。具志堅さんは「日米安保の実態も作品からうかがい知ることができる。賛否は別にして日本全体の問題として考えるきっかけになってくれればと思っています」。
入場無料。上映スケジュールは、文化経済フォーラムホームページ(http://www.bun-kei.jp/)で。九月六日午後三時四十五分から「普天間基地問題とメディア報道」をテーマにシンポジウムを開く。パネリストは鳩山由紀夫元首相、ジャーナリストの高野孟氏ら。
問い合わせは事務局=(電)080・8371・7340。

貧困ひとり親家庭支援策 子ども居場所50万人分整備 - 東京新聞(2015年8月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015082802000259.html
http://megalodon.jp/2015-0830-0851-31/www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015082802000259.html

政府は二十八日、子どもの貧困対策の一環として、経済的に厳しいひとり親家庭や多子世帯の自立支援策をまとめた。学童保育終了後の子どもを犯罪などから守り、食事も提供する地域の居場所を二〇一九年度までに年間延べ五十万人分整備するほか、携帯メールを活用した自治体の相談窓口の一本化を進める。

軍都の記憶(7) 米軍演習場「チガサキ・ビーチ」:神奈川 - 東京新聞(2015年8月29日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20150829/CK2015082902000135.html
http://megalodon.jp/2015-0830-0854-30/www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20150829/CK2015082902000135.html

茅ケ崎市に住む沼井敏(さとし)さん(87)は、軍隊に入隊する予定の数カ月前に終戦を迎えた。祖父に連れられ、二歳下の弟と一緒に茅ケ崎海岸で地引き網漁を始めた。
茅ケ崎から藤沢の辻堂へと続く海岸沿い一帯は「旧日本海軍辻堂演習場」だった。戦後に米軍が接収し、「チガサキ・ビーチ」という通称で演習場として利用するようになり、沼井さんは演習を目の当たりにした。
茅ケ崎市史編集員会がまとめた文献によれば、米軍が最初に大規模な上陸演習を実施したのが一九四六年十月。朝鮮戦争が勃発した五〇年六月前後から、演習は数を増す。五二年四月発効のサンフランシスコ講和条約で日本の主権が回復した後も、茅ケ崎市藤沢市への事前通告なしに演習や訓練が行われることもあった。
演習で大きな被害を受けたのが、沼井さんら地元漁業者だった。「演習があると、漁はできない。何とか食べなくてはいけないから、夜暗くなって網をかけに行ったりした。あまり捕れなかったけど、そうするしかなかった」
砲撃演習で標的にされたのが、茅ケ崎のシンボルとして知られる「えぼし岩」だった。その様子を沼井さんは何度も目にした。「砲撃の音がすごかった。私たちはえぼし岩のてっぺんを漁業権の境界の目印にしていたんだけど、砲撃で岩の形が変わってしまったので困った。撃つのはやめてほしいと陳情したら、米軍はドラム缶を浮かべて標的にした」
豊かな漁場であるえぼし岩周辺をはじめ、演習区域は演習の影響で漁獲量が大きく減った。漁業者らは地元自治体とともに米軍に対し、補償や演習の中止を求める声を上げた。
その間、沼井さんは米軍と思いがけない接点を持っている。一九五〇年九月、台風の中、茅ケ崎海岸で行われた米軍の演習で上陸用舟艇が沈み、多くの米兵が海にのまれた。地元警察署の要請を受けた沼井さんは漁師仲間と船を出して米兵を助けた。数日後、米軍の上官らしき人物が感謝の言葉を英文タイプした書面を持って現れた。警察署長から感謝状も贈られた。
五二年九月には落下傘での降下訓練中、風に流されて、海岸から四百メートル沖の海に落ちた米兵を救った。このときも米軍関係者がやって来た。
沼井さんは陳情活動に参加しながら「戦争で負けたんだから、仕方ないかな」とも考えていた。米軍に対する憎しみや怖さは不思議と感じなかった。終戦間もないころ、自宅の軒先に数人の米兵が現れ、空腹らしいしぐさをした。そこでたくあんを出したら、丸かじりした。「日本人と変わらない」と思った。
五三年に朝鮮戦争が休戦し、チガサキ・ビーチでの演習は減っていく。そして返還を求める地元の運動が続き、五九年六月、返還が実現する。今、同じ海岸で人々はサーフィンに興じ、えぼし岩で釣り糸をたれる。 (吉岡潤)
  =おわり

日本海軍辻堂演習場> 茅ケ崎市史ブックレット(同市発行)によると、江戸時代、茅ケ崎・辻堂海岸砂丘地帯は「鉄砲場」と呼ばれ、徳川幕府の砲術演習場だった。明治時代、地元への払い下げなどを経て海軍が買い上げて、演習が始まり、太平洋戦争の終わりまで続けられる。同戦争末期には米軍の上陸、本土決戦に備えた陣地づくりが進められた。米軍が1946年3月に実施予定だった関東上陸作戦「コロネット作戦」では、九十九里海岸とともに湘南海岸が上陸海岸として想定され、その中心に茅ケ崎海岸が置かれていたとされる。