<コラム 筆洗>水俣病患者らが損害賠償を求める熊本地裁の第1回口頭弁論 - 東京新聞(2024年5月9日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/325971?rct=hissen

水俣病患者らが損害賠償を求める熊本地裁の第1回口頭弁論(1969年)で、裁判長は原告側の最前列にいた当時13歳の女性胎児性患者に法廷の秩序を乱したとして退廷を命じた。理由は声だった。

生まれつき話せぬ娘さんはあー、あーと声を出したそうだ。水俣病問題に取り組んだ作家の石牟礼道子さんが退廷は間違っていると書いた。その声こそが患者の置かれている現実。「唄だったかもしれぬ。泣き声だったかもしれぬ」。まぎれもなくその声はこの法廷にふさわしい声だったのに-と。

水俣の「声」をめぐる最近の国の仕打ちがやりきれぬ。水俣患者・被害者団体と伊藤信太郎環境相との懇談で被害者側の発言中、環境省の職員が一方的にマイクの音を切ったという。声を消した。

1団体3分間の発言時間を超過したためと環境省は説明する。時間に限りはあろうが、消したのは病の苦しさや、亡くなった家族を思う言葉の数々である。3分ではおよそ語り尽くせぬ胸の内である。

最高裁水俣病の被害拡大を防止しなかった国の責任を認めている。国は被害者の声に真摯(しんし)に耳を傾けなければならない立場にあるはずだ。時間を超えたからと声を奪う冷酷な方法が国への不信を招く暴挙であることになぜ、気づかなかったのか。

伊藤環境相が被害者側に直接謝罪した。反省が続くのはまさか、3分間ばかりではあるまいな。