公害病認定50年 水俣事件、なお未解決 - 東京新聞(2018年10月5日)

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水俣病公害病と認定されて五十年。国は自らの責任を棚上げにして、幕引きを急いでいる。福島原発事故の補償問題の行く末が、オーバーラップするかのようだ。水俣事件、いまもなお未解決。 
一九五六年五月一日、熊本県水俣保健所が「原因不明の脳症状」として、水俣病の存在を公式に確認した。公式確認。不思議な言葉。それ以前から、そんな病気があったらしいということだ。 
五九年には、熊本大の研究班が、原因は有機水銀であると世間に知らしめた。ところが国が公害病と認定し、チッソ水俣工場の排水に含まれる有機水銀化合物が原因だと発表したのは六八年になってから。チッソは認定の四カ月前に、有機水銀の排出源になるアセトアルデヒドの生産をやめていた。
政府の対応が後手に回った十二年間。「せめてあの時…」と振り返る患者は少なくない。政府の不作為が事態をより深刻にした。ゆえに、水俣病問題は「事件」であり、水俣事件は今もなお、未解決のままなのだ。
発足したばかりの環境庁(現環境省)は当初、「可能性を否定できない限り公害病として認定する」という立場に立った。ところが七七年になって、「複数の症状を満たす必要がある」と認定基準を厳格化、「患者」とは認定せずに、一時金でお茶を濁そうとする「政治決着」へと向かう。最高裁が「症状は一つでいい」と断じても、耳を貸そうとはしない。
つまり「水俣病」の実像は未確定なのだ。
これまでの認定患者約三千人に対し、潜在患者は「十万人単位」とも言われている。それなのに、不知火海一帯の広域健康調査の実施は拒み続けている。国の姿勢には、“病”の実態を明らかにせず、「患者」を絞り、補償の支出を抑えようとする思惑が、明らかではないのだろうか。
このようなシナリオが、例えば福島にも及んでいないか。水俣の半世紀を振り返るべき理由は、そこにもある。
東電に国費をつぎ込み、とりあえず原因企業の“救済”を図る仕組みは「チッソ方式」と呼ばれている。一方、原発事故でふるさとを追われた人たちへの賠償打ち切りが始まるなど、被害者救済には積極的とは思えない。原発推進は「国策」であるはずなのに。
「可能性が否定できない限り、救済する」−。国は原点に戻るべきなのだ。水俣でも、福島でも。