【政界地獄耳】初の平民・山本五十六国葬、翌日の見出しは… - 日刊スポーツ(2022年7月23日)

https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/202207230000054.html

★元首相・安倍晋三国葬の是非について議論百出は結構なことだが、国葬に値するか否かは時の施政者の思い付きで決めてもいいものか。本来の評価は歴史が決めることになる。国民の評価が分かれることは当然で、功績と罪過があって功罪となすのだ。無論、長期政権と政権の安定、また選挙ではことごとく与党に勝利をたらしめたことは与党にとっては功績だろうし、その間、政権では森友学園加計学園桜を見る会などの不可解な処理は立派なこととは言えず、罪過と感じる国民も当然いる。どちらが正しいかといえばどちらも正しく、この議論が政府の決定とは別の場所で議論されていることが健全なのだ。国民全員の賛同の下、国葬が決まったなどという方がよっぽど気持ちが悪い。

★1943年6月5日、連合艦隊司令長官山本五十六大将の国葬が執り行われた。皇族・華族ではない平民が国葬にされたのは当時、山本だけだった。山本人気の証しだろう。翌日の朝日新聞の見出しは「死してなほわれらと共にある太平洋の守護神」とすさまじい。これが戦時中の空気なら、元首相・佐藤栄作国葬が見送られたときの内閣法制局や、与野党の議論がいかに大人のやりとりだったかが読み取れる。賛否拮抗(きっこう)したまま、国葬にすべきでないとした時の政府の判断も1つの見識だ。

★当時の野党には現在の社民党である社会党共産党公明党が現存しているが、既に2党は今回の国葬にも反対だ。公明党はどういった理屈で当時反対したのだろうか。政府は国葬閣議決定するが、既に法的根拠のないと吉田茂時代から言われていたものを閣議決定するのか。内閣府設置法内閣府の「国の儀式」として閣議決定をするようだが、行政組織法を根拠として廃止された国葬令を政府が復活させることができるのか。こんな無理を通すやり方のほうが、よほど民主主義を逸脱し独裁的ではないのか。(K)※敬称略