<南風>後の祭りにならぬよう - 琉球新報(2022年6月23日)

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コロナ禍前のこと。台湾から那覇に戻る際に空港の案内表示で自分の搭乗便を一瞬見落とした。行き先が那覇や沖縄ではなく「琉球」と表示されたためだ。隣人からのリスペクトに思われ琉球国に帰るかの感覚になり、少し心が震えた。この話をうちなーの方に伝えると、台湾に行ったら注意して見ようとうれしそうに話していたのが印象的だ。

4年前、初めて暮らすことになった沖縄。幸い人に恵まれ、その文化にも自然にも人一倍深く接することができた。誤解を恐れずに言えば「沖縄は日本語が通じるアジアの国」だと実感した。芸術や建築、料理に風習。一国の名にも恥じない伝統と誇りに魅せられた。

くしくも本稿の掲載は「慰霊の日」。沖縄に暮らすまでは正直深く意識しなかった。暮らして初めて知る現実や歴史を肌で感じ、私なりにその重さに少しは近付けた気がする。苛烈な戦火から復興し街はにぎわい樹々は茂り、花は彩り、沖縄のアイデンティティーは不滅に思われる。だが文化も自然もしばしば脆弱(ぜいじゃく)だ。

30年以上前の大阪で、沖縄出身の方から「内緒話する時うちなーぐちで普通に話すのだ」と聞いた。しかし今50代以下ではそのようなことはないと聞く。善し悪しは別に“標準語”が確実に浸透している。

そして淡々と進行する気候の変化は、沖縄を象徴するサンゴ礁の海といった自然を危機にさらす。気が付けば、文化でも自然でも「昔は」という枕ことばが付いた未来になるかもしれない。変化の全てを否定しないが、沖縄で私を感動させてくれた珠玉の文化と自然が、次に訪れた時にも在り続けてほしいと願う。できれば首里城とともに。

自戒を込めて、小さなほころびが大きくなり、「後の祭り」にならないよう、日常の文化と身近な自然、それを支える人々への感謝を忘れないことを誓う。
(河原恭一、札幌管区気象台(前沖縄気象台地球温暖化情報官)