首里城焼失 再建へ心を寄せ合って - 東京新聞(2019年11月2日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019110202000179.html
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「沖縄の象徴」が瞬く間に灰燼(かいじん)に帰した。十月三十一日に発生した首里城火災。県民の喪失感は計り知れない。原因の徹底究明は当然だ。一帯は世界遺産でもある。再建に心を寄せ合いたい。
那覇市街地の北東、丘陵の上に立つ城が真っ赤な炎に包まれ崩れ落ちる光景は衝撃的だった。なすすべもなく見上げる県民の中には身内を失ったかのように涙を流す姿が多くあった。世界遺産や沖縄観光の中心である以上に、沖縄人(うちなーんちゅ)の誇りそのものだった。
原因は県警が捜査中だ。施錠された正殿の内部から出火したらしい。失火か、漏電などによる発火か。早期の究明を望む。
残念極まりないのは、燃え落ちた正殿などが木造に漆を塗った燃えやすい構造なのにスプリンクラーがなかったことだ。築後二十七年の比較的新しい建物は重要文化財ではなく、劇場やホテルとも異なるため消防法上の設置義務がなかった。所有者の国、管理者の県とも法規制の隙間を放置した責任は重大だ。政府は、木造建築が九割以上という国宝や重要文化財、また歴史的建造物の防火対策に教訓を生かさなくてはならない。
首里城は十五世紀から四百五十年続いた琉球国の国王らの居城、行政、祭祀(さいし)の拠点として建造された。本来の正殿などは一九四五年の沖縄戦で失われたが、県民の悲願を受けて九二年に国営公園の一部施設として復元され、二〇〇〇年には下部の遺構が「首里城跡」として世界遺産登録された。
朱塗りの壁に琉球瓦の屋根、竜の装飾など、中国と日本の影響が融合した独自の壮麗さをたたえ、玉座や歴代国王の肖像画など内部展示とともに、沖縄が本土とは異なる歴史と文化を育んできたことを示す。
敷地内には旧日本軍が築いた地下壕(ごう)跡もあり、沖縄戦の激烈さを今に伝える場所でもあった。
県民の願いは無論、早期の再建だ。一日に急きょ上京した玉城デニー知事は菅義偉官房長官と会い再建への決意を表明。菅氏も財政措置も含め政府として全力を尽くす方針を示した。国と県は、米軍新基地建設を巡る対立とは別次元で緊密に協力すべきだ。
那覇市沖縄県内メディアは募金受け付けを始めた。県系人が多いハワイなどにも支援の動きが出ている。琉球処分(併合)、沖縄戦、米国統治-と歴史に翻弄(ほんろう)され、今も米軍基地の集中に苦しむ沖縄のため、県外に住む私たちもできることを積極的にしたい。