(筆洗) 広島で被爆して数年後、青年教師は体調に不安を感じ、それゆえ… - 東京新聞(2021年10月29日)

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広島で被爆して数年後、青年教師は体調に不安を感じ、それゆえに好きな人との恋愛をためらい、苦悩する。<原爆の犠牲者は、わしだけでええいうのが本当かも分からん>。現在の岸田国士戯曲賞である新劇戯曲賞を一九五八年に受賞した堀田清美さんの『島』。被爆後の人々をえがいて注目された作品である。
教師にはモデルがいた。後に日本原水爆被害者団体協議会の代表委員となる教師、坪井直(すなお)さんである。十年ほど前、舞台を見て涙ながらに「あの通りだった」と語ったという。
被爆直後に死を意識した、かの青年が、生きた証しを残そうと地面に瓦のかけらで自分の名を書いたのを回想する場面がある。実際に書いたのは「坪井はここに死す」だったそうだ。
一度ならず死を覚悟し、病に長く苦しんだ。何度か危険な状態にもなりながら、核廃絶被爆者援護、教え子らに体験を伝える活動に精力を注いだ。訴えのため世界を回り、人々に親しまれた方が亡くなった。九十六歳だった。
あの日、だれからも助けてもらえず、泣きながら燃える街の方角に逃げていく女の子の後ろ姿を見たという。講演で語っている。けがもあり、なにもできずに見送ったことが、活動の原点になったらしい。
無念と苦しみをもうだれにも味わってほしくない。その思いを多くの人が受け取った。青年教師が全力で生きてきた証しでもあろう。