<金口木舌>生きている「ひめゆりの心」- 琉球新報(2021年8月18日)

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ひめゆり学徒隊の生存者、宮良ルリさんから体験を伺ったのは25年ほど前、那覇市松川のご自宅近くにある軽食店だった。言葉に力がこもり、体験を伝えたいという強い意思を感じた

▼それでも、学徒隊解散命令後の1945年6月19日、糸満市の伊原第三外科壕にガス弾が投げ込まれ、学友を亡くした体験を語る時はつらそうだった。学徒隊引率教師だった仲宗根政善さんの日記には苦悩の一端が記されている
▼「ひめゆりの塔の記録を読んでさえ、その後はきっと病気になるのです。気が弱いのでしょうか」。体験を詳述するよう求める仲宗根さんに宮良さんは語っている。沖縄戦を振り返るのは心身の痛みを伴うことだった
▼日記の日付は71年3月31日。その15年後の86年、単著「私のひめゆり戦記」を出した。痛みに耐え、体験をつづったであろう。心は常に第三外科壕に眠る学友と共にあったはずだ
▼訃報に接して思う。沖縄戦、そしてひめゆりの体験を学ぶ者は、これからも宮良さんが残した言葉に導かれ、南部の戦跡や第三外科壕を訪ねるだろう。平和を希求する「ひめゆりの心」は今も生きている
ひめゆり平和祈念資料館から自宅近くまで車でお送りしたことがある。車中で和やかに話しておられた。重い体験を背負う宮良さんの穏やかな笑顔を見ていて、平和の貴さに触れた気がしたのを思い出す。