(筆洗) 一九四五年八月六日、出張先の広島で被爆し、三日後の九日には… - 東京新聞(2021年7月28日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/119854

一九四五年八月六日、出張先の広島で被爆し、三日後の九日には帰郷した先の長崎で再び、被爆した山口彊(つとむ)さんにこんな短歌がある。

<黒き雨また降るなかれにんげんがしあわせ祈るための蒼穹(あおぞら)>

原爆投下後に降る放射性物質を含む黒い雨。今は「蒼穹」だが、黒い雨なぞ二度と見たくない−。過去の痛みと未来への祈りがこもる。
一方、同じ黒い雨に遭ったその人たちの頭上にはそんな「蒼穹」は今まで広がっていなかったのだろう。黒い雨の後にも別の冷たい雨が降っていた。「黒い雨」をめぐる集団訴訟菅首相は原告全員に被爆者健康手帳を与えるとした広島高裁判決について上告を断念する考えを表明した。原告の全面勝訴が確定する。やっとその雨も上がるか。
原告は黒い雨を受けながら国の定めた降雨区域ではないと線引きされて被爆者として認められなかった人々である。同じ黒い雨にも被爆者と同じ援護の傘に入ることを許されず無情の雨に打たれていた。「なぜ」という気持ちを抱えながら震えていたはずだ。
首相の政治判断による上告断念という。ひとまずは多とするが、もう少し早く決断できなかったか。「蒼穹」を感じることなく亡くなった命を思う。
原告と同じ区域の生存者は約一万三千人。幅広く速やかな救済を願う。まず考えるべきは新たな線引きではなく、雨にぬれた人へのいたわりであろう。