https://ryukyushimpo.jp/column/entry-1305819.html
「どんなふうに亡くなったかを伝えるのは行動を共にした私たちだけ」。元ひめゆり学徒隊の宮城喜久子さんは生前、語り部を続ける理由を取材で語っていた。県立第一高等女学校4年時に看護要員として戦場に駆り出された
▼ただ、宮城さんが自らの体験を語り始めたのは敗戦から40年後である。学友が悲惨な死を遂げた辛さと、生き残ったことが負い目となり語ることができないでいた
▼荒崎海岸で手りゅう弾の信管を抜きあぐねていたところで、米軍の捕虜になった。多くの学友が命を落とした場所でもあるその海岸を再び訪れた際、宮城さんが目にしたのが散乱するごみだった。急速に進む戦争の風化が語り部へと突き動かした
▼ひめゆり平和祈念資料館が展示内容をリニューアルした。戦後世代の職員が初めて手掛け、身近な家族に戦争体験者が少なくなった今の世代を意識した展示内容にした
▼宮城さんは語り部をする中で「『知る』ことがどんなに大事なことかを痛感した」とも語っていた。戦争の実相を知ることが平和を維持することにつながる。そんな思いで取り組んでいたのであろう
▼資料館を訪れることは、沖縄戦で犠牲になった一人一人に何が起こったかを知るための機会となる。今を生きる私たちに体験者が伝えたいことを知る機会にもなる。それが二度と戦争しないという誓いにつながる。