(余録) 当時でも国力で20倍と見積もられた米英との戦争に… - 毎日新聞(2020年12月8日)

https://mainichi.jp/articles/20201208/ddm/001/070/081000c

当時でも国力で20倍と見積もられた米英との戦争に、日本人はなぜ突入したのか。この問いにまたまた思いをめぐらす12月8日がやってきた。最近では、それが行動経済学の考え方で説明されることがある。
3000円を支払う選択Aと、8割の確率で4000円を払うが2割の確率でタダという選択Bがあれば、リスクをとるBを選ぶ人が多い。先の展望を失った当時の指導層も似た心理で、大きなリスクを承知で僥倖(ぎょうこう)を求めたのである。
経済思想史家の牧野邦昭(まきの・くにあき)さんの「経済学者たちの日米開戦」はそう指摘し、避戦のためには開戦リスクの大きさよりも、避戦が必ずしも「損」にはならない展望が必要だったという。賭け金にされたのは途方もない数の人の命だった。
当時のエリートだけでなく、一般国民も日米の国力の差はよく知っていたと説いているのは日本近代史家の加藤陽子(かとう・ようこ)さんだ。政府は学校でも日米の国力の差をグラフで強調し、それを克服するのが大和魂だなどと教えていたという。
加藤さんの「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」によれば、国力の差はむしろ対外危機を扇動する材料とされた。国民には国力の差から政府や軍と別の選択肢を描き出すすべはなかった。開戦は、政府の自縄自縛(じじょうじばく)の結果でもあろう。
その加藤さんは菅義偉(すが・よしひで)首相により学術会議への任命を拒まれた6人の一人だ。国民のリスクを軽視する政府の冒険的施策はコロナ禍でも見られないか。まこと日本人の選択を今も照らし出す79年前の12・8だ。