札幌のやじ排除 正当化できぬ異論封じ - 信濃毎日新聞(2020年2月27日)

https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20200227/KT200226ETI090007000.php
http://archive.today/2020.02.28-005148/https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20200227/KT200226ETI090007000.php

街頭での選挙演説にやじを飛ばした人が警察に力ずくで制止される―。それが正当な行為として許されるのなら、憲法が保障する言論・表現の自由は、あってなきものになってしまう。
昨年7月の参院選の際、札幌駅前での安倍晋三首相の演説中に聴衆が排除された問題である。7カ月余を経て、北海道警が調査結果を道議会に報告した。
警察官職務執行法警察法に基づいた対応で、問題はなかったと結論づけている。明確にしていなかった排除の法的根拠については「危害防止のための措置」や「犯罪予防のための制止」を定めた警職法の規定を挙げた。
「安倍やめろ」などと叫んだ男性は背後から腕をつかまれ、私服、制服の警察官数人に囲まれてその場から引き離されたという。ほかにも女性1人が排除されている。政策を批判するプラカードの掲示を阻まれた人もいた。
男性がやじを飛ばしたのは、選挙演説の車とは20メートルほど離れた、道路の反対側からだ。やじに反応した人たちとトラブルが起きていたわけではなく、危害が生じるような差し迫った状況でもなかったと指摘されている。
警職法は、生命や身体に危険が及ぶ恐れがあり、急を要する場合に限って、警察官による制止を認めている。道警の対応をそれに当てはめるのは強引すぎる。調査報告をうのみにはできない。
現場での判断だとして、組織的な指示を否定したことにも疑念が湧く。調査にこれほど時間がかかったことも納得がいかない。
政治的な意見を表明する自由は民主主義の基盤としてとりわけ尊重されなくてはならない。人々が街頭で声を上げること、やじを飛ばすこともその一つだ。公権力が強制力を行使して排除するのは、弾圧にほかならない。
参院選では、札幌のほかにも首相にやじを飛ばした聴衆が排除される事例があった。翌月の埼玉県知事選でも、文部科学相が応援演説をした会場で、大学入試改革の中止を訴えた学生が体をつかまれて遠ざけられている。
「安倍1強」と言われる政治状況が続き、異論に耳を傾けようとしない政権の姿勢はあらわになっている。それが、街頭での批判の声さえ封じる動きにつながってきたのではないか。
やじを飛ばすのにも警察の目をうかがうような寒々しい光景が広がれば、民主主義は成り立たない。至るところで自由がむしばまれている現状に目を凝らしたい。