中村医師の死 現場主義を忘れまい - 朝日新聞(2019年12月6日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S14284284.html
https://megalodon.jp/2019-1206-0748-19/https://www.asahi.com:443/articles/DA3S14284284.html

現場に徹底してこだわり、現地の人々に寄り添う姿勢を貫いた。それなのに……。理不尽さに言葉もない。
30年以上にわたり、アフガニスタンで復興支援に携わった中村哲(てつ)さん(73)が亡くなった。灌漑(かんがい)工事の現場に赴く途中の車が何者かに銃撃された。
「あと20年は活動を続ける」と周囲に話していたという。その志を打ち砕いた凶行に怒りを覚える。ともに命を落としたアフガニスタン人の警備員ら5人にも、哀悼の意を表したい。
医師である中村さんが農業支援に取り組んだのは、00年にアフガニスタンで起きた大干ばつを目にしたのがきっかけだ。薬があっても、水と食糧がなければ命を救えない。その無力感から、土木を独学した。
心がけたのは現地の人と同じ目の高さで見て、考え、行動することだ。できるだけ地元の素材を利用し、地元のやり方で、地元の人の力を活用した。
外国からの支援者が受け入れられる鍵は「その地の慣習や文化に偏見なく接すること」「自分の物差しを一時捨てること」と話していた。忘れてはならない言葉だ。
中村さんが現地代表を務めるNGOぺシャワール会は、約1600本の井戸を掘り、用水路を引いて、1万6500ヘクタールの農地をよみがえらせた。東京の山手線の内側の面積の2・6倍にあたる。ふるさとに帰還した難民は推定で15万人にのぼる。
だが、アフガニスタンの治安は依然として回復の兆しが見えない。反政府武装組織タリバーンや過激派組織「イスラム国」が根を張り、政府に打撃を与える目的で、国際援助機関やNGOを標的にし続けている。
ぺシャワール会も、08年に伊藤和也さん(当時31)が殺害され、活動の見直しを余儀なくされた。大半の診療所を閉め、日本人メンバーは引き揚げた。それでも中村さんは現地に残り、用水路の建設を続けた。
「現地の人々の命を守る活動をしているからこそ守ってもらえる」との信念を貫いた。それを無謀というのは当たるまい。
人道支援においては、政府や国際機関だけでなく、NGOの役割がますます重要になっている。治安の悪い地域にこそ、最も支援を必要とする人がいる。そのことを忘れてはならない。十分な安全対策を講じたうえで、現地の声に耳を傾け、国連などと連携して活動することの意義は大きい。
「私たちは誰も行かないところに行く」。この中村さんの言葉を胸に、ぺシャワール会は今後も活動を続けるという。
中村さんが砂漠から変えた緑の風景が続くことを祈りたい。