中村哲さん銃撃死 非暴力の実践継承したい - 琉球新報(2019年12月6日)

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アフガニスタンの復興支援に取り組んできた非政府組織「ペシャワール会」現地代表で医師の中村哲さんが、現地で武装した集団に銃撃され、亡くなった。誰よりも非暴力を貫き、アフガンの平和構築に尽くしていただけに、志半ばで凶弾に倒れたことは無念でならない。
中村さんは戦乱や貧困に苦しむアフガニスタンの人々のため、危険を覚悟で長年にわたり紛争地に根を張ってきた。「誰も行かないところに行く、他人のやりたがらないことをやる」という信念で、医療活動にとどまらず井戸を掘り、砂漠に緑を取り戻すため農業用水路を開いた。
アフガンの自立を手助けし、人々が貧しさから抜け出して武器を捨て、平和な営みが訪れることを信じた。国家や民族、宗教に関わりなく罪のない人たちに手を差し伸べる人道主義に基づいた実践は、日本人が世界に誇る民生支援の姿を示してくれた。
沖縄が目指す平和の在り方でも模範となった。2002年に県が創設した沖縄平和賞の最初の受賞者がペシャワール会だった。沖縄戦の犠牲となり、戦後も広大な米軍基地が存在する沖縄の苦悩や矛盾に中村さんは「全アジア世界の縮図」と思いを寄せた。沖縄の人々もまた、「非暴力と無私の奉仕」に共鳴した。
授賞式で中村さんは「私たちの活動を非暴力による平和の貢献として沖縄県民が認めてくれたことは特別の意味がある」と喜びをかみしめた。創設の意義にふさわしい受賞者であり、その活動を顕彰できたことは県民の誇りだ。
今年10月にアフガン政府から「最大の英雄」として名誉市民権が授与されたばかりだった。現地に尽くし、尊敬を集めた中村さんが、なぜ襲撃の対象となったのか。不条理な暴力に怒りを覚える。
それと同時に、米国の武力行使に追随する日本政府の姿勢が、海外の紛争地で活動する日本人の安全を脅かしていることを危惧する。
2001年の米中枢同時テロへの報復で米国はタリバンが拠点とするアフガンに空爆を開始し、日本も支持を表明した。米軍がイラクに侵攻した翌04年には、南部サマワ陸上自衛隊を派遣した。
集団的自衛権の行使を可能にした15年の安全保障関連法の成立を巡って、中村さんは「ほかの国と違い、日本は戦争をしないと信じられてきたから、われわれは守られ、活動を続けることができた」と警鐘を鳴らしていた。
武器輸出の容認や9条改憲の動きが強まる中で、日本は中立だと諸外国に主張することが難しくなっている。軍事的な対米追従の流れに、辺野古の新基地建設もある。
中村さんが遺(のこ)した非暴力の実践を受け継ぐとともに、憲法が掲げる平和主義の重みをかみしめたい。ペシャワール会の活動に敬意を表しつつ、多くの県民と共に中村さんのご冥福を心からお祈りする。