教皇の脱原発 心強く受け止めたい - 東京新聞(2019年11月28日)

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ローマ教皇フランシスコが原発利用への反対を表明した。東日本大震災被災者らの悲しみの声を聞いた後での、踏み込んだ発言だ。核廃絶に加えて明確にした、脱原発の理想を共有したい。
訪日からローマに戻る機中での会見で教皇は「日本が体験したトリプル災害(地震津波原発事故)はいつでも起きる可能性がある。原子力利用は完全な安全性を確保するに至っていないという意味で限界がある」と指摘。個人的な意見とした上で「私は完全な安全性が実現するまで核エネルギーを使用しない。災害が起こらない保証が十分ではない」と述べた。
教皇は広島で「戦争への原子力使用は犯罪以外の何ものでもない」と核廃絶を強く訴えた。一方で、震災被災者らとの集いでは「兄弟である日本の司教たちは原発の廃止を求めた」「将来のエネルギーに関し、勇気ある重大な決断をすることが最初の一歩だ」と述べたものの、原発の是非は直接明言しなかった。
集いでは、福島県いわき市から東京に避難している高校生が「いじめに遭い、死にたいと思うほどつらい日々が続いた。政府の思惑で被害者の間に分断が生じた」などと訴えた。教皇の心を動かしたのではないか。
今回の発言には伏線もある。教皇が「皆がともに暮らす家」になぞらえる地球の環境が破壊されつつあることへの危機感だ。
環境汚染や地球温暖化を警告した二〇一五年の回勅(公的書簡)で教皇原子力エネルギーについて「ある区域の生活の質に深く影響する可能性があり得ます。目先の利益と私的な利害関心を優先する消費主義文化は、安易な認可や情報の隠蔽(いんぺい)を容易にする可能性があります」(「回勅 ラウダート・シ」、カトリック中央協議会刊)と指摘し、コスト、リスクの見極めが必要だと訴えていた。
福島の実情を知り、原発はコスト、リスクとも、「ともに暮らす家」を持続していくには見合わない、と判断したのだろう。
核兵器禁止条約を批准せず、原発推進を続ける日本を教皇が批判したり、方針転換を迫ったりすることはなかった。大きな発信力、影響力はさらに世界へと向けられている。被爆国日本は、バチカンと協力して核兵器廃絶に全力を挙げたい。
原発被災国としては、脱原発実現に向け、教皇のメッセージを心強く受け止めたい。