[ローマ教皇訪日]「行動」求める言葉重く - 沖縄タイムス(2019年11月26日)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/502557
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被爆地から世界に向けて発信したメッセージは、各国指導者に核兵器廃絶を強い調子で迫るものだった。同時に私たち一人一人に対しては、原爆を巡る記憶の継承と平和を守る行動を促した。
ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇(法王)が24日、長崎と広島を訪問した。教皇の訪日は故ヨハネ・パウロ2世以来、38年ぶりとなる。
長崎市の爆心地公園、広島市平和記念公園での演説で強調したのは、核兵器を含む大量破壊兵器保有や核抑止の否定である。
核兵器のない世界は可能であり必要不可欠」「真の平和は非武装の平和以外にあり得ない」。保有だけで非難されるべきだとの姿勢を明確に打ち出すとともに、核抑止論に持続可能性はないとの考えを示したのだ。
だが国際社会は核大国の軍拡と、核の拡散・不安定化が同時に進行する厳しい中にある。今年8月には米ロの中距離核戦力(INF)廃棄条約が失効、来春の核拡散防止条約(NPT)再検討会議は合意文書の採択が危ぶまれている。
「相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険がある」との言葉は、直接的な危機表明である。
演説では平和実現のため「核兵器禁止条約を含む国際法の原則にのっとり迅速に行動」することも訴えている。
名指しこそしなかったが同条約に参加しない日本を意識した発言である。被爆国としての役割をどう果たそうとしているのか、問い掛けているのだ。

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今回の訪日で印象に残ったのは、長崎市の演説で教皇の傍らに置かれた「焼き場に立つ少年」の写真パネルだ。
亡くなった幼子を背負い、口を固く結び、直立不動で火葬の順番を待つ少年の写真は、原爆投下後の長崎で撮られたとされる。
戦争の悲惨さが凝縮された1枚で、教皇はこの写真を印刷したカードに「戦争がもたらすもの」という言葉を添え、世界に広めてきた。
82歳の教皇被爆者らと同年代である。犠牲者に祈りをささげた後、「記憶し、共に歩み、守ること。この三つには平和となる真の道を切り開く力がある」とも語った。
沖縄戦もそうだが、若い世代が学ぶ努力を放棄すれば風化は加速する。体験が風化すれば平和は遠ざかっていく。私たちもこの言葉をしっかりと受け止めたい。

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25日、フランシスコ教皇と官邸で会談した安倍晋三首相は、その後のスピーチで「核保有国と非核保有国の橋渡しに努め、対話を促す」と語ったが、核軍縮に向けた具体的な取り組みには一切触れなかった。
逆に浮かび上がったのは、米国の核抑止力と軍事力に頼りすぎるあまり、東アジアの平和と安定に向け独自の構想を示しきれない日本の姿である。
唯一の戦争被爆国として、この対立と混迷の時代に何が発信できるか、考え直す時だ。