[首里城焼失]説明と原因究明を急げ - 沖縄タイムス(2019年11月1日)

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/491926

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首里城で火災が発生した。御庭(うなー)を囲む正殿、北殿、南殿の主要建造物のほか書院・鎖之間、二階御殿、黄金御殿、奉神門の7棟(計4800平方メートル)が焼失した。
未明、真っ赤に燃える首里城。目撃した住民は立ちすくんだ。崩れ落ちた正殿の姿に、登校する子どもたちは涙した。「またこんな光景を見るなんて」。かつて戦火に焼かれる首里城を見た高齢者は悲嘆に暮れた。多くの県民が惨劇を悲しみ、驚きを隠さなかった。なぜこんなことが起きたのか。
首里城の警備員が正殿の中から煙が上がっているのを目撃し通報したのは31日午前2時半ごろ。那覇市消防局は同2時41分、消防車両8台、署員31人が出動した。その後2度にわたって各地の消防から車両や署員が追加派遣され、車両のべ53台、署員171人が消火活動に参加した。
しかし火勢は強く、鎮火したのは通報から11時間後の午後1時半。正殿は跡形もなく崩れ、首里城の周辺一帯は午後も木材が焼け焦げたにおいに包まれた。
焼け落ちた正殿の中には琉球王国時代から伝わる絵画や漆器、染織物などが収蔵されていたとみられている。これら建造物の足元には2000年に世界遺産登録された「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一部、首里城跡も広がる。火災は県民の財産を奪っただけでなく、世界遺産を焼失の危機にさらした。
最初に煙が目撃された正殿は施錠されていたという。なぜ出火したのか。火元の特定が急がれる。

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未明の火の粉は周辺住宅にも降り注ぎ、一時は30人近くが避難所に身を寄せた。
火の勢いが持続した理由について当局は、塗装下地に漆が使われていることを示唆している。
施設にはスプリンクラーは設置されていなかった。正殿には外部からの延焼を防ぐため外壁に水の幕を張る消火装置「ドレンチャー」が設置されていたが、火元は正殿内部とみられており機能しなかった可能性もある。専門家からは首里城の特性に合わせた防火体制の不十分さを指摘する声も上がっている。
これに対し首里城を管理する沖縄美ら島財団は、現場検証が未実施であることなどを理由に、マスコミ各社が要求した記者会見を見送った。火災が与えた影響の大きさを見れば大いに疑問だ。首里城の運営は今年2月に国から県へ移管されたばかり。県や財団は早急に説明責任を果たすべきだ。

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14世紀半ばから後半に築城された首里城が全焼したのは4度。2度は沖縄戦を含む戦火で2度は失火によるとされる。中国からの冊封使を迎えた首里城はかつて琉球国が国際社会への参加を演出する場で、戦後は沖縄戦からの復興の象徴に。いつの時代も県民の心のよりどころだった首里城は、度重なる焼失にもかかわらず復元されてきた。
今回もすでに復元に向けた寄付が県内外から寄せられている。思いに応え、悲劇を繰り返さないためにも徹底した原因究明が求められる。