首里城の収蔵品焼失 一日も早く詳細な調査を - 琉球新報(2019年11月3日)

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ちょうど30年前の今日、那覇市首里城では正殿の復元起工式が行われた。正殿復元はその3年後の1992年だ。11月3日は毎年多くの関連行事が行われていたが、今年は首里城の火災で中止された。大きな喪失感が漂う。
火災前、首里城内には琉球王国ゆかりの絵画や漆器、書跡、染織品など約1510点が保管されていた。だが、正殿など主要な建造物7棟が焼けた10月31日の火災で、このうちの少なくとも400点を超える収蔵物が焼失した可能性が高いことが分かった。極めて残念でならない。
全焼した正殿には、復元された扁額(へんがく)「中山世土」や同じく「玉座」、複製の「玉冠」など6件7点が常設展示されていた。南殿には現存品である「大龍柱残欠」など4件4点があった。そのほか北殿に1点、書院・鎖之間(さすのま)に2件2点の常設展示物があった。
「寄満(ゆいんち)」と呼ばれる建物の多目的室には、琉球王族である尚家に関する史料など131件407点が収蔵されていた。これらも焼失した可能性が大きいという。
史料的価値も高いこうした収蔵物の損失は、琉球の歴史や芸能・文化研究にとって大きな痛手であることは論をまたない。沖縄の象徴である首里城の崩落に衝撃を受けた人々の悲しみをさらに倍加させるものでもある。
火災に見舞われた施設内では、県立埋蔵文化財センターや個人から借用していた計9件14点も保管していた。組踊上演300年記念特別展の関連品も紹介されていた。
一方、残る1000点余りの収蔵物は南殿と寄満の収蔵庫に収められていた。県指定文化財の絵画や工芸品なども含まれている。この二つの収蔵庫は耐火性能があるが、中の状態はまだ分からない。
城跡の石積みや基礎などの遺構は正殿地下に保存されていたが、これらの状態も分かっていない。いずれも無事を願わずにはいられない。
1500点余りの中に国宝や国の重要文化財などはないというが、収蔵品は首里城が焼失した沖縄戦を経て、多くの関係者の長年の努力で戦後集められている。沖縄の人々の心のよりどころであり、国内外に誇りうる「宝」であることに違いはない。
首里城を管理・運営する一般財団法人沖縄美ら島財団の花城良廣理事長は、火災の発生や状況報告の遅れについて謝罪した。火災現場では警察や消防による原因調査がまだ行われているが、財団は収蔵品全体の現状について詳細を速やかに調査し、報告しなければならない。その動向を多くの県民が注視している。
専門家からは歴史的建造物として価値を維持しつつ、収蔵物を守るための頑丈な保管場所を併設する難しさを指摘する声もあるが、沖縄の宝をこれ以上失ってはならない。今回の悲劇を踏まえ他の機関でも収蔵物の保全状況について緊急点検する必要がある。