トリエンナーレ 自分で見て 確かめて - 東京新聞(2019年10月12日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019101202000169.html
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企画展「表現の不自由展・その後」が、脅迫による中止を経て再開された「あいちトリエンナーレ2019」。会期は十四日までと残りわずかだが、批判も含め幅広い論議を深める契機としたい。
四回目の開催となる今回、来場者数は過去最高を記録する勢いだが、会期中は驚きの連続だった。
各地の美術館などで作品の展示拒否が相次ぐ事実。その実態を伝える企画展が「反日」「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」といった脅迫によって三日で中止される現実。一度は認めた愛知県への補助金を不交付とした文化庁。こうした出来事の数々は、この国の現状を端的に映し出す。
企画展と展示作品に、さまざまな賛否があるのは当然だ。だからといって「こんなものは芸術ではない」と決めつけ、威力で封じ込めることは決して許されない。
補助金の不交付を、文部科学省文化庁は「検閲ではない」という。だが地方自治体との取り決めを国が後から反故(ほご)にしては、信頼関係が損なわれるし、政府の掲げた「地方創生」にも反しよう。
不交付を巡っては、東京芸術大の教員や学生たちが集会を開いて「文化庁が文化を殺すな」と訴えた。同大のOBで学長も務めた宮田亮平長官をはじめ文化庁は、こうした真剣な指摘に対して誠実に応答していく責務がある。
また、他者の思想や表現を「反日」という言葉で排斥する風潮の広がりには危うさを感じる。「国の補助金で国を批判する作品を展示するな」という声もあるが、賛同できない。私たちの社会を取り巻く問題を真摯(しんし)に追究する表現者による批判は、「日本すごい!」といった賛辞よりこの国の未来にとって有益となり得るからだ。
ネットでは社会と芸術について建設的な発言がなされる一方、出所の不明な情報も流れた。トリエンナーレは三年に一度の開催だが「毎年楽しみにしていたのにもう行かない」と、観覧者を装って非難するような投稿も横行した。
こうした中で特筆したいのが、再開された不自由展の会場に駆けつけた大学生の言葉だ。「ネット上で写真だけ見ていては分からない。実物を見て考えたい」と、東京から深夜バスで来たという。
扇情的な言葉や感情には流されず、自分で見て、確かめ、考える。今回のトリエンナーレにかぎらず広くアートや創作、言論や表現について論じる上で、この学生の姿勢を記憶に留(とど)めておきたい。