表現への圧力 萎縮を招く危うい流れ - 朝日新聞(2019年11月9日)

https://www.asahi.com/articles/DA3S14250072.html
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より良い社会を築くために多様な表現の場を守るべき国や自治体が、それとまったく逆の動きをする出来事が続く。
ウィーンで開催中の展覧会について、在オーストリア日本大使館が友好150周年事業の認定を取り消した。日本の戦争責任に触れた動画や、原発事故を題材にした作品を問題視したようだ。一部の人が「反日的」と言い出し、自民党議員が外務省に問い合わせていた。
民主主義の発展には、不都合なことも表に出して議論を交わし、考えることが大切で、権力は無用の介入をしてはならない――。そんな近代社会の基本を理解せず、芸術への尊敬を欠く国だと宣言したに等しい。
国内では、慰安婦を扱った作品の公開に待ったがかかった。
少女像の写真を片隅にコラージュした作品に対し、三重県伊勢市は主催美術展での展示を不許可とした。市民の安全が脅かされる恐れがあるという。川崎市は、共催する映画祭で慰安婦問題のドキュメンタリーを上映することに懸念を示し、主催NPOはいったん中止を決めた。
伊勢市は「あいちトリエンナーレ」での混乱を引き合いに出し、川崎市は、映画の制作側と一部出演者との間でトラブルがあることを理由に挙げたが、いずれもおかしな話だ。
伊勢市の場合、脅迫などの事実があったわけではないし、真に安全が心配ならば警察と連携して備えるのが筋だ。展示させないのは、気にくわない表現活動を力で封じ込めようとする勢力に加担するのと同じだ。川崎市も過剰反応は明らかで、こうした振る舞いが「事なかれ」の風潮を生み、社会の萎縮を招くことに無自覚すぎる。
さらに気になる動きもある。
文化庁所管の日本芸術文化振興会は、「公益性の観点から不適当」と判断した場合、活動への助成金支給を取り消すことができるよう要綱を改めた。
関係者が罪を犯した場合を想定していると言うが、ならば要綱にそう書けばよい。公益という、いかようにも解釈できる用語には危うさがつきまとう。「あいち」に対し、文化庁が手続きの不備を理由に補助金を不交付とする異例の措置をとった直後だけに、現場に動揺と不信を広げた。撤回を求める。
文化庁の不交付決定は多くの批判を浴び、おとといの文化審議会の部会でも、専門家委員らから厳しく指弾された。川崎の映画祭では、映画人らの抗議で一転、上映が実現した。
一つひとつの動きに目を光らせ、それぞれの立場で声を上げることが大切だ。沈黙やあきらめの先にあるのは、市民的自由を失った寒々しい社会だ。