(筆洗) 自分にとっていかにかけがえのない存在 - 東京新聞(2019年9月2日)

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2019090202000148.html
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学校の近くでお母さんと中学生らしい娘さんが話し込んでいるのを見た。時期は春休みが終わり、今日から新学期という日の朝である。
話し込むというより、お母さんが一方的に話している。「どうして行かないの」。休み明けで学校に行きたくないらしい。口を閉ざし、目に涙を浮かべていた。親と娘さんの両方の気持ちを想像し、いたたまれなくなる。
九月一日、多くの学校で夏休みが明ける。今年は一日が日曜なので二日がその日になるのか。残念ながら年間を通じ、その前後が子どもの自殺の最も多い時期である。
大戦中、ユダヤ強制収容所にいた心理学者フランクルが同じ収容所にいた二人の人間の自殺を思いとどまらせた話が『夜と霧』にある。「生きていても何も期待できない」と二人はいう。
フランクルは何かあなたを待っているものはないかを考えてもらったそうだ。一人は書きかけの著作があると思い出した。もう一人は自分の帰りを待つ子どもがいると気づいた。二人は生きることを選んだ。「一人一人にそなわっているかけがえのなさ」や待っているもの。それを意識すれば人は生きることから簡単に降りられぬという。収容所の絶望にあってもである。
月曜日の朝。心配な子がいれば、その子が自分にとっていかにかけがえのない存在かをうまく伝えていただきたい。学校をどうするか。それは後の話。