強制不妊は違憲 人生踏みにじる罪深さ - 東京新聞(2019年5月29日)

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障害を理由に不妊手術を強制された-。非人道的な旧優生保護法仙台地裁は「違憲」と認めつつ、原告の賠償の求めは退けた。無念だろう。人生を踏みにじられた人には誠実な救済を急ぐべきだ。
国家の罪と呼んでもいいほどだ。一九四八年に施行された同法は、超党派の議員による議員立法だった。「不良な子孫の出生を防ぐ」目的で、遺伝性疾患や精神障害の人に本人の同意がなくても不妊手術ができる内容だった。
手術を受けた障害者らは約二万五千人、このうち実に約一万六千五百人は本人の同意がなかった。被害の賠償を求め、東京、静岡など計七つの地裁で起こされている裁判でもある。
法の根にある優生思想により、子どもを産み育てたいという希望は踏みにじられた。幸福追求権も無視されたのだ。だから、仙台地裁が「幸福の可能性を一方的に奪い去り、個人の尊厳を踏みにじるもので、誠に悲惨」と述べ、同法を「違憲」としたのは当然だ。
だが、原告の求めを退けたのは納得いかない。損害賠償の請求権が消える除斥期間(二十年)を既に経過したという。不妊手術からも、法改正の九六年からも…。だが、原告にその期間に訴訟を起こすことは現実的にできたのか。
あまりに杓子定規(しゃくしじょうぎ)な考え方ではないか。苦しんでいる人に寄り添わない判決は、冷酷である。確かに国会は今年、救済法をつくり、政府が一人三百二十万円の一時金を支給するとした。「おわび」の首相の談話も発表された。
それでおしまいならば、障害者だけが大きな犠牲を背負うことになる。最も重い責任は、非人道的な法をつくった立法府、問題を知りつつ放置してきた行政にあるはずである。例えば旧厚生省は四九年の通知で、公益目的があり、「憲法の精神に背くものではない」とも見解を示していた。
行政の責任が明確化されず、司法から追及されないのはおかしい。政府自身、責任をもっと自覚すべきであろう。このままでは真の救済にも謝罪にも遠い。被害者が求める賠償額とも開きがある。手術後に体調不良に苦しんだり、結婚の機会を奪われた人もいる。被害は時間を経ても積み重なっていると考えるべきだ。
手術の資料などは廃棄されたり、証言できる家族が死亡している実態もある。早く被害の全体像を明確にし、血の通う救済に全力を挙げねば個人の尊厳は回復されない。