市民裁判員10年 民主主義を学ぶために - 東京新聞(2019年5月20日)

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裁判員制度が始まって十年になる。プロ裁判官だけの刑事裁判の世界に市民たちが風穴を開けるか期待された。民主主義を学ぶ学校であることも。
フランスの思想家モンテスキューの名著「法の精神」の一節…。

裁判権力を身分や職業に結び付けないで、一年のある時期に選ばれた市民に担わせるべきだ>

十八世紀の書物だが、市民の司法参加は現代では先進諸国で広く行われている。米国の陪審制、西欧の参審制…。日本では一九八〇年代に確定死刑囚の再審で四件の無罪判決が出て、「プロ裁判」のほころびがあらわになった。刑事法の泰斗で、元東大学長の平野龍一氏は八五年にこう記した。

市民感覚の変化が
陪審制や参審制でも導入しない限り、わが国の刑事裁判はかなり絶望的である>
裁判官は捜査結果を追認するだけに終わり、それが冤罪(えんざい)の原因になっていると…。「真実を見抜く眼力を持っていると裁判官が考えるのは自信過剰」とも記した。
刑事裁判に市民の感覚を反映させる目的で、二〇〇九年五月二十一日に導入されたのが裁判員制度だ。二十歳以上の有権者から選ばれた市民六人が、裁判官三人とともに審理する。殺人や強盗致死傷など最高刑が死刑または無期懲役禁錮か故意に被害者を死亡させた事件だ。
裁判員は捜査結果の追認ではいけないし、真実を見抜く眼力も欲しい。プロ裁判官と違い、市井の人として、それぞれの良識を生かしたい。
この十年間で、裁判員裁判は一万二千件を超え、裁判員は補充裁判員も含め約九万一千人。プロ裁判官のみの刑事裁判と比較して変化はあった。
例えば「介護殺人」など家族間の事件で情状酌量の判断が多く示された。これはまさに市民感覚の反映であろう。性犯罪では重罰へと進んだ。

◆死刑判決は全員一致で
裁判官裁判時代では強制性交等致死傷罪(強姦(ごうかん)致死傷罪)の量刑が懲役五年以下が最多だったのに、懲役七年以下へと重くなった。全体では死刑が三十七件、無期懲役が二百三十三件、無罪は百四件だった。
一方で、裁判員の候補者が辞退する割合は、制度が始まった〇九年の53・1%から年々上昇し、速報値では68・4%に上った。事前に辞退しなかった候補者が、選任手続きのため裁判所に出向く出席率も、〇九年の83・9%から66・5%に減った。
この辞退率の上昇と出席率の低下は、どう見るべきだろうか。審理の長期化、国民の関心低下と関係するという説がある。審理の平均日数は、〇九年の三・四日から一八年は六・四日にまで増え、神戸地裁姫路支部であった昨年の殺人事件の公判では、過去最長の実に二百七日を要している。
だが、市民の負担を減らすために必要な公判日数をあえて減らして臨んでは本末転倒である。真実を見抜くために必要な日数は確実に用意されねばならない。
問題は公判前の整理手続きできちんと争点が絞り込まれているかどうかだ。裁判員制度で劇的に変化したのは「調書裁判」から「公判中心主義」への脱皮だ。供述調書に過度に依存した裁判から、法廷で直接、話を聞く裁判へと変わり、わかりやすくなった。
だから、事前に争点がきちんと絞り込まれていれば、裁判員の審理日数もおのずと減るはずである。一八年には公判前整理手続きの期間が平均八・二カ月もあり、議論が拡散傾向にないかと指摘されている。制度に関し、指摘すべき点はまだまだある。
例えば、死刑判決についてだ。誤判なら取り返しのつかない刑罰だけに、死刑については多数決ではなく、本来は全員一致での評決にすべきであると考える。
また米国では陪審員が比較的自由にメディアの前で評議の中身を語ったりする。だが、日本では守秘義務が課せられ、広く社会に自分の経験を語ることができない。
裁判員の経験を「良い」と答える人は95%以上もいるのに、それが社会に響かないのは、守秘義務の鎖で、口を縛られているからではないのか。制度理解のためにも、もっと語らせるべきだ。

◆人民のための学校だ
十九世紀のフランスの政治思想家トクヴィルは米国の陪審制についてこう記した。

<人民の審判力を育成し、その自然的叡智(えいち)をふやすように役立つ(中略)無料の、そして常に公開されている学校のようなものである>

単なる裁判ではなく、民主主義を養う人民の学校であると看破した。日本の裁判員制度もまた同じであろう。長い歴史を持つ陪審と比べ日本はまだ十年だ。民主主義を成熟させる良き学校としたい。