(筆洗)<身の毛まで津波の記憶冬深し> - 東京新聞(2019年3月11日) 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2019031102000116.html
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<身の毛まで津波の記憶冬深し>は宮城県多賀城市在住の俳人高野ムツオさん。東日本大震災が起きた日はビルの地下で食事中だったそうだ。ビルから逃れ、津波の被害を目の当たりにした。横倒しになった数限りない車。震災忌が今年もめぐってきた.
<身の毛>にまで刻まれた震災の記憶。冒頭の句は震災一年後の二〇一二年の句だが、それは一九年の今でもまざまざとよみがえってくる恐怖の記憶だろう。
あの日の記憶はもちろん被災地と、他の場所では大きく異なる。被災者には<身の毛まで>の恐怖が忘れようとしても忘れられない。あの日以降、「時間が止まったまま」という声を被災地では今なお聞く。喪失感。悲しみ。前に進みたくとも進めないいらだちもあるだろう。
「時というのは、人によってそれぞれの速さで進むのだよ」。シェークスピア「お気に召すまま」のせりふが浮かんでくる。復興は進んだかもしれぬ。が、被災地の心の時間はなかなか進んでいないのだろう。
被災地以外での時間はどうか。残念ながら、忘却に向かって足早に過ぎている気がする。平成に起きた悲劇は平成が終わることで区切りをつけてしまい、もっと早く進むかもしれぬ。
被災地より早く進む時間は震災の記憶を弱め、被災者の現在の痛みへの感覚を鈍らせることになっていないか。八年がたった。被災地と同じ時計を使いたい。