(筆洗)地震、津波が憎い。が、人の頭の中に巣くう「闇」の方がもっと憎い。そして悲しい。 - 東京新聞(2016年11月23日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016112302000148.html
http://megalodon.jp/2016-1123-0942-52/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016112302000148.html

気持ちの悪い揺れに寝床からがばりと起き上がる。テレビをつける。震源福島県沖。大きな傷を負った東北の地がまた揺さぶられた。かの地を思い「もうやめてあげて」と声を上げた方もいらっしゃるのではないか。昨日早朝の地震である。
大きな被害がなかったのが幸いとはいえマグニチュード(M)7・4。一九九五年の阪神大震災のM7・3よりも、上回っている。今後、一週間はM7級の地震が起こる可能性があるという。現地が心配である。
この地震も、二〇一一年三月十一日の東日本大震災の余震なのだと聞く。あれから、およそ五年半。二千八十三日が経過しようと、あの大地震は今も生き続け、そこに住む者を苦しめるのか。そんな想像をしてしまう。
地震の闇百足(むかで)となりて歩むべし>。俳人、高野ムツオさんの3・11当時の句。日本はあの日以降、地震の「闇」から逃げ続けている。その傷をなんとか癒やしながら、ここまで逃げてきたが、3・11の「闇」はなおも追いかけてくるようだ。<天災は忘れたころに>の警句はもはや<天災は忘れたくても>や<忘れたいのに>なのか。
現地の無事を祈るべき時に、何が面白いのか、あたかも原発津波に襲われているかのようなデマ写真をネット上に拡散させた人間がいた。
地震津波が憎い。が、人の頭の中に巣くう「闇」の方がもっと憎い。そして悲しい。