(斜面) 県民の「ノー」を今度は本土のわれわれが尊重する番だ - 信濃毎日新聞(2019年2月26日)

https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190226/KP190225ETI090004000.php
http://archive.today/2019.02.27-013842/https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20190226/KP190225ETI090004000.php

沖縄県民投票、天皇陛下在位30年式典、日本文学研究者ドナルド・キーンさん死去―。きのうの朝刊はくしくも多くの住民を巻き込んだ沖縄戦に関わりあるニュースが並んだ。キーンさんは情報士官として本島上陸作戦に加わっている

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1945年4月1日、上陸してすぐ浜辺で赤ん坊を抱え、もう1人の子を連れた女性を見つけた。危ないと言っても言葉が通じず、彼女の方言も分からない。逆上したキーンさんが子供を抱き上げ医療班目がけて走りだすと女性も後を追い、難を逃れた

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それからは標準語が分かる少年を雇い、住民が隠れていそうな洞窟を調べ、出てくるよう呼び掛けた。自殺しそうな捕虜には生き続けるよう説いたという。<老人、女性、子供までが砲火にさらされるようになると狂気の世界としか言いようがない>。そう自叙伝に回想している

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日本文学への傾倒は戦いとは無縁の「源氏物語」の優美さに引かれて。激戦地で回収した日本兵の日記から同じ人間の苦悩を知り、日本への関心がより強くなった。戦後続いた平和に憲法の平和主義の貢献を認め、沖縄の基地は縮小できると考えていた

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天皇、皇后両陛下は何度も沖縄を訪れ慰霊を重ねられている。式典で披露された「歌声の響(ひびき)」は、この時の情景を歌にした両陛下の合作だ。沖縄に寄せる思いはとりわけ深い。いまなお戦争の負の遺産を背負い続ける基地の島。その県民の「ノー」を今度は本土のわれわれが尊重する番だ。