(余録)多数決でものごとを決する民主主義だから… - 毎日新聞(2019年2月15日)

https://mainichi.jp/articles/20190215/ddm/001/070/130000c
http://archive.today/2019.02.15-002658/https://mainichi.jp/articles/20190215/ddm/001/070/130000c

多数決でものごとを決する民主主義だから、こんな皮肉をいう人もいる。「民主主義とは“半分以上の人が半分以上の時間は正しいはずだ”と無理やり信じ込むこと」。米作家E・B・ホワイトの言葉という。
だから「最大多数の最大幸福」を追求しがちな民主主義の難所は、いつも少数者の権利を守れるかという点である。たとえどんな多数の支持を背負った民主主義権力でも、侵してはならぬ一線を定めているのが憲法ということになる。
ならば同性婚の制度化を求める人々が、現行制度は憲法に違反すると提訴したのも単に司法まかせにすべき話ではなかろう。それは性的に多様な人々の権利主張をめぐる新たな合意の模索という、民主主義の宿題を指し示してもいる。
同性婚といえば婚姻を定めた憲法24条の「両性の合意」が論議となる。きのうの提訴では、条文は「婚姻の自由」を定めたもので同性婚を禁じたものではないと主張した。民法によって婚姻届が受理されない現状は「違憲」だという。
さらに同性カップルの税制などでの不利益は憲法14条の「法の下の平等」に反するというのである。思えばこの数年で日本社会のLGBTなど性的少数者への理解は飛躍的に広がり、自治体や企業での権利擁護への取り組みも進んだ。
世界的にも同性婚を認める国が広がる今日、提訴が投げかけた一石は日本社会が求めるべき理想、守るべき伝統は何かを論議し直す貴重なチャンスだろう。「難所」でこそ試される民主主義の真価である。