立法権の放棄に等しい 臨時国会閉会 - 東京新聞(2018年12月12日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018121202000172.html
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後味の悪さだけが残ったのではないか。十日閉会の臨時国会。国会は国権の最高機関、唯一の立法機関のはずなのに、政権の言うがまま提出法案を成立させる下請けと化している。猛省を促したい。
審議で法案の問題点が明確になったにもかかわらず、野党の反対を押し切り、審議を打ち切って成立を急ぐ。政権与党がこんなことを繰り返せば、何のための国会かと国民に叱責(しっせき)されて当然だろう。
日本の政治は、内閣(政府)が国会の信任によって存立する議院内閣制ではなく「官僚内閣制」だと指摘された。中央省庁の官僚が許認可権などを「武器」に政治を長く牛耳ってきたからだ。
この「官僚主導」政治を国民の代表たる「政治家主導」に変えるのが平成の一連の政治改革だが、臨時国会では時を三十年以上も戻すようなことが行われた。改正入管難民法の審議である。
与党が成立を強行したこの法律は、外国人労働者をどの程度、どの産業分野に受け入れるのか、どの程度の技能水準を求めるのか、など制度の根幹を法務省令などで定めるとしている。こうした記述は法律中、三十カ所を超える。
安倍晋三首相らは、詳細を尋ねられても「検討中」と繰り返し、明らかにしようとしなかった。
制度の根幹部分を国会の議決を必要としない省令に委ねるのは行政府への白紙委任、官僚主導政治への逆戻りにほかならない。極言すれば、立法権の放棄に等しい。
与党が、野党の反対を押し切って政府提出法案の成立を強行するのはもちろん許されないが、特に問題にしたいのは、与党が事前審査の段階で自らの立法権を奪う省令委任を問題視せず、国会提出をなぜ認めたのかという点だ。
政権中枢への過度の権力集中で抵抗できなかったのかもしれないが、自らの存在意義を損なう立法権侵害に思いが至らず、見過ごしたのなら政治の劣化は深刻だ。
外国人をどう受け入れ、多文化共生型社会をどうやって築くのかは、国の在り方に関わる重要な問題だ。こうした課題こそ、各政党の党首同士が議論を深めるべきなのだが、臨時国会党首討論は一度も行われなかった。
国会は自らの役割をいま一度、自問し、「安倍一強」政治の下で弱体化した立法や権力監視の機能強化に努めるべきではないか。
国会が議論すべきことを議論せず、政権中枢の言いなりになって追認機関と化す過程は、かつて歩んだ戦争への道と重なる。