(書評)帝国化する日本 明治の教育スキャンダル 長山靖生(やすお)著 - 東京新聞(2018年11月25日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2018112502000203.html
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◆「日本回帰」の要因教育に
[評]成田龍一日本女子大教授)
「日本人はいつの間に欲望や戦闘を押しとどめる方法を見失ったのだろう」−これが著者の現状認識であり、切実な問いである。この事態を「帝国化」とし、歴史的に日本の帝国化を検証することが本書の内容となっている。
取り上げられるのは、明治末期(一九一〇年前後)の日本の「大きな転換期」である。このとき著者は、日本の「帝国化」は「上からの圧力ばかりでなく、下からの権利拡張願望によっても推進された」という視点を持つ。すなわち、「内に立憲、外に帝国」という状況で、「贅沢(ぜいたく)化した世代」「消費欲求を刺激された大衆」が「権利意識に目覚めていく」一方、「海外利権への欲望」にも向かうことをいう。「帝国主義的なメンタリティ」の解明である。
扱われるのは二十世紀初頭に教育の領域で起きた四つの事件である。小学校で使用する検定教科書採用をめぐる贈収賄、高等教育機関における道徳思想問題、国史教科書の南北朝の記述をめぐる論争、そして進化論の受容である。
いずれも世紀の転換期に問題化されるところに着目し、事件をきっかけに「教育改革」がなされ「変転」することをいう。「学問上の問題」「事実関係の検証」が、「政治や道徳(国体)教育」によって歪(ゆが)められる事例であり、「学術上の議論と国民道徳(国体)の不整合」を、修身、国史、自然科学に探った。
そのうえで、「明治の教育スキャンダル」が、昭和の「自己肯定のファンタジー」を生むことをいう。世紀を越えて、学歴が価値となり、レジャー産業があらわれ、贅沢化が進行し、「大正青年」(煩悶(はんもん)青年、耽溺(たんでき)青年など)が登場するが、その行く先としての「日本回帰」である。
著者は、人びとが「日本回帰」という欲望の肯定に至る要因を教育に求める。大正デモクラシーを経験したはずの日本が「容易に軍国主義に傾斜していった理由」とする。<いま>の状況と重ねあわせながらの叙述だが、肝心のこの部分が急ぎ足となったことが惜しまれる。

ちくま新書・864円)

1962年生まれ。文芸評論家。著書『日本SF精神史』『偽史冒険世界』など。

◆もう一冊
松沢裕作著『生きづらい明治社会−不安と競争の時代』(岩波ジュニア新書)