(書評)国語教育の危機 紅野(こうの)謙介著 - 東京新聞(2018年11月4日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2018110402000195.html
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◆改革の「押しつけ」を憤る
[評]高原到(批評家)
国力の基盤は教育にある。教育の根幹には、コトバによる物事の理解がある。急激な人口減少によって、あらゆる分野で難問が出来すると見こまれる日本の未来において、「国語教育」の重要性を否定する者はあるまい。だが現状はすこぶる暗い。情報学者の新井紀子によれば、教科内容の理解どころかそもそも教科書が読めない子どもたちが増えている。PISA(国際的な学習到達度調査)において、日本の十五歳児の「読解力」ランキングも急降下中だ。窮状を打破するという名目で登場したのが、二〇二一年から「センター試験」に代わって実施される、「大学入学共通テスト」である。
改革の目玉の一つが、「国語」への記述式問題の導入だ。しかし本書が暴露するのは、サンプルとして発表された問題例の、目を覆いたくなるばかりのお粗末さだ。(1)無署名の「資料」、それも「契約書」や「校則」といった規範(ルール)の参照や適用が中心で、「公共性の押しつけ」という権力性が露(あら)わなこと。(2)複数の「資料」を総合的に把握するという方針ばかりが一人歩きし、肝心の問題の精度がずさん極まりないこと。(3)膨大な答案を短期間に処理するという無理が採点方法に歪(ひず)みをもたらしていること。
この三重苦にあえぐ記述式問題は、「国語」を救うどころか、むしろ破壊するというのが、「国語教育」に長年のあいだ真摯(しんし)に関わってきた著者の切実な主張である。
著者の慨嘆を継いで、さらに書きくわえよう。このままいけば、二○二一年以降、記述式問題は各方面から集中砲火をくらって迷走をくりかえすにちがいない。苦しむのは誰か? むろん受験生だ。未整理な採点基準に翻弄(ほんろう)されもするだろう彼らは、「センター試験」時代には可能だった、正確な自己採点に基づく出願校の選択という、主体性を発揮するわずかな機会すら強奪される。教師・生徒を問わず、すべての「国語」教育関係者は、著者とともに怒り、叫ぶべきである。「必要なのはこれではない!」と。

ちくま新書・950円)

1956年生まれ。日本大教授。著書『書物の近代』『検閲と文学』など。

◆もう1冊
鳥飼玖美子(くみこ)著『英語教育の危機』(ちくま新書)。英語教育「改革」を批判。