<憲法を見つめて 住民投票の教訓>(下)与那国自衛隊配備 島に亀裂残ったまま - 東京新聞(2018年8月28日)


http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018082802000136.html
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自衛隊基地反対 島の元気をみんなでつくろう」と書かれた看板はすっかり色あせていた。日本最西端の与那国島沖縄県与那国町)。二〇一五年二月、陸上自衛隊配備の賛否を問う住民投票が実施され、誘致賛成が上回った。
政府は海洋進出を強める中国を念頭に、与那国を離島防衛の要と位置づける。配備に反対した町議の田里千代基(60)は、島を二分した問題をこう振り返る。「住民投票という手法は間違っていない。だが、住民投票条例が成立した時には既成事実ができて、住民にあきらめムードが漂っていた。それでもやらんといけないということでやった」
〇七年六月、米海軍佐世保基地所属の掃海艦二隻が与那国島に寄港した。翌〇八年一月、地元有志が与那国防衛協会を結成し、自衛隊誘致運動を始めた。米軍が自衛隊の露払い役を果たした格好だ。
反対派は一二年、住民投票条例の制定を請求したが、誘致派が多数を占める町議会は否決。一四年九月の町議選で誘致派と反対派の議席が拮抗(きっこう)した結果、同年十一月に条例案が可決されたものの、同年春には陸自駐屯地の造成工事が始まっていた。田里は「請求した時に住民投票が実現していれば勝っていた。結局、誘致派の工程表で配備が進んでしまった」と悔しがる。
一六年三月に陸自駐屯地が開設され、二年半が経過した。島には亀裂が残る。カフェを営む猪股哲(41)は反対運動を続けるが、嫌がらせが絶えないという。「店の看板が壊されたり、スプレーで塗りつぶされたりした。地域の行事にも呼ばれなくなった。島からゆいまーる(助け合い)がなくなってしまった」
反対グループ「与那国島の明るい未来を願うイソバの会」共同代表の山口京子(59)は「既成事実を積み重ねられ、追い込まれた末の住民投票だった。嫌気が差して島を出た反対派の住民も多い。国にあらがうことの無力感を覚える」とため息をつく。
誘致派は住民投票をどう総括しているのか。与那国防衛協会会長で副町長の金城信浩(きんじょうしんこう)(74)は「不安はあったが、やってよかった。衰退する島を活性化する道はほかになかった。住民投票後、反対派は動けなくなった」と言い切る。
自民党は、九条に自衛隊の存在を明記する憲法改正案を掲げる。この案が国民投票に持ち込まれると、与那国島住民投票と同様、自衛隊の問題を直接民主制で決めることになる。
金城は「自民党の改正案に賛成だ。勝っても負けても、国民が一票を投じて決めた方がすっきりする」と国民投票を歓迎する。
一方、田里は不安を隠さない。「自衛隊の明記には反対だ。安倍政権は集団的自衛権を解釈で容認するなど既成事実をつくっている。『米軍はダメだが自衛隊ならOK』と言う人もいるが、甘い。自衛隊の基地があれば必ず米軍が来る。いずれ与那国の駐屯地も、米軍にいいように使われるに違いない」 =敬称略(佐藤圭)