長崎原爆の日 国連総長初参列「核の惨禍最後の場所に」 - 東京新聞(2018年8月9日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201808/CK2018080902000260.html
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長崎は九日、被爆から七十三年を迎え、長崎市松山町の平和公園で平成最後の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれた。原爆投下時刻の午前十一時二分、参列した市民ら約五千二百人が黙とう。田上(たうえ)富久市長は平和宣言で、核兵器保有国とその同盟・友好国に「核に頼らぬ安全保障政策に転換を」と促した。日本政府にも、唯一の戦争被爆国として核兵器禁止条約に賛同し、世界を導く道義的責任を果たすよう求めた。 
安倍晋三首相はあいさつで、六日の広島原爆の日と同様、保有国と非保有国の橋渡しが必要だと強調した。国連からは事務総長が初めて参列。現職のグテレス氏はあいさつで「核廃絶は国連の最優先課題。長崎から全ての国に、目に見える進展を求める。保有国には特別な責任がある。長崎を核の惨禍で苦しんだ地球上最後の場所にしよう」と呼び掛け、核兵器廃絶に取り組む姿勢を強調した。
平和宣言は条約早期発効のため、世界中の人々へ「自国の政府と国会に署名と批准を求めて」と呼び掛けた。六月の米朝首脳会談にも触れ「後戻りのない非核化実現を、大きな期待を持って見守っている」とした。
反核運動の象徴的な存在で昨年八月に八十八歳で死去した谷口稜曄(すみてる)さんらが、戦後世代の戦争や核に対する向き合い方に懸念を示していたことを紹介。憲法の平和主義を次世代に引き継ぐことの大切さを強調した。原発事故からの復興に努める福島にも八年続けて言及し、励ましの言葉を送った。
長崎市によると、式典には、核保有国を含めて計七十一カ国の代表者らが出席した。
七月末までの一年間で、市は被爆者三千四百四十三人の死亡を確認。今年から、国が定めた地域外で原爆に遭った「被爆体験者」も死没者名簿の対象とし、記載総数は体験者五十四人を含む計十七万九千二百二十六人となった。
厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ人の数は、三月末時点で十五万四千八百五十九人。平均年齢は八二・〇六歳。

◆首相に条約署名迫る 県外在住者初の被爆者代表・田中熙巳さん訴え
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(86)=埼玉県新座市=は県外在住者で初めて被爆者代表として「平和への誓い」を朗読した。 
七十三年前、長崎の爆心地から三・二キロ離れた自宅で被爆した田中さんは当時十三歳。「三日後の今ごろ、家屋が跡形もなく消滅し、黒焦げの死体が散乱するこの丘の上を歩き回っていた。この日一日、私が目撃した浦上地帯の地獄の惨状を脳裏から消し去ることはできません」と当時の凄惨(せいさん)な様子を振り返った。
原爆について「全く無差別に、短時日に、大量の人びとの命を奪い、傷つけた。そして、生き延びた被爆者を死ぬまで苦しめ続けます。人間が人間に加える行為として絶対に許されない行為です」と非難。「被爆者の苦しみと核兵器の非人道性を最もよく知っているはずの日本政府は、同盟国アメリカの意に従って、核兵器禁止条約に署名も批准もしないと、昨年の原爆の日に総理自ら公言されました。極めて残念でなりません」と厳しく批判した。
最後に「核兵器もない、戦争もない世界の実現に力を尽くす」と誓った。 (原田遼)