「核の傘…見直しを」 長崎、切なる祈り 原爆投下72年 - 東京新聞(2017年8月10日)

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017081090071202.html
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長崎は九日、原爆が投下されてから七十二年を迎えた。長崎市松山町の平和公園で、市主催の「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれ、原爆投下時刻の午前十一時二分、参列した市民らが黙とうした。田上(たうえ)富久市長は平和宣言で、例年訴えてきた原爆投下後の惨状を後回しにし、国連で七月に採択された核兵器禁止条約を「被爆者が積み重ねた努力が形になった」と評価。条約に加わらない日本政府に「唯一の戦争被爆国として、一日も早い参加を」と迫った。
田上市長は、宣言冒頭から核禁止条約に触れ、「ヒロシマナガサキ条約」と呼んで歓迎。核保有国と核の傘の下にある国に、安全保障を核に頼ることのないよう求めた。例年は原爆投下後の人々や町の凄惨(せいさん)な描写から始めていた。
東京電力福島第一原発事故放射線の脅威にさらされた福島にも七年続けて言及し、「被災者を応援する」と述べた。
その後、被爆者代表の深堀好敏さん(88)が「平和への誓い」を朗読。「町並みは消え、姉は息絶えた。世界が終わる、と思った」と回想した。
安倍晋三首相はあいさつで、広島市で六日にあった平和記念式典と同様、核なき世界の実現に向けて核保有国と非保有国の「双方に働き掛ける」と強調。条約参加への言及はなかった。
被爆者団体は式典後の安倍首相との面会で、「あなたはどこの国の総理ですか。私たちを見捨てるのか」と条約不参加に強く抗議。安倍首相は「核廃絶に努力する」などと述べるにとどめ、高齢化が進む被爆者の願いには直接応えず、平行線のままだった。

◆宣言冒頭 条約参加訴え
田上富久市長は、九日の平和祈念式典で読み上げた「長崎平和宣言」で、冒頭から半分を七月に採択された核兵器禁止条約に関する言葉に割いた。十年前の市長就任後の宣言でも、今年の「広島平和宣言」でも見られなかった異例の構成。田上氏がこだわった背景には、条約に動こうとしない日本政府に対する被爆地の焦りがにじむ。
宣言文をまとめる過程では、異論もあった。五月に始まった被爆者や研究者、学生ら十五人の起草委員会。計三回の議論で、被爆者ら複数の委員は「やはり、冒頭部分から被爆の実相に詳しく触れるべきだ」と訴えた。
それでも田上氏は譲らなかった。市職員の一人は「条約採択が核廃絶機運を高める最高のタイミングで最後の機会かもしれない」と田上氏の思いを代弁する。
宣言の最初に田上氏が使った「ノーモア ヒバクシャ」は、国連などで被爆者たちが叫び続けた悲願だ。その思いが国連加盟国の過半数が同意した史上初の禁止条約につながった。だが、被爆国である日本政府は「非現実的」と距離を置く。
平均年齢八十一歳を超えた被爆者の高齢化。なぜ今、動かない−。田上氏は「到底理解できない」と強い言葉を使った。従来通り、被爆の悲惨さが大半で政府批判にまで踏み込まなかった広島の宣言とは異なる内容に、ある被爆者は「勇気を得た」と漏らした。  (西日本新聞・重川英介、小川俊一)