オウム事件で死刑執行 記憶を消さぬように - 東京新聞(2018年7月7日)

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オウム真理教の代表だった麻原彰晃死刑囚ら計七人の死刑が執行された。地下鉄サリン事件など数々の凄惨(せいさん)な事件。記憶を消さぬようにしたい。
かつてオウム真理教の施設があった山梨県上九一色村(現甲府市富士河口湖町)の区長に地元警察から連絡があった。六日午前九時ごろのことだ。「死刑執行があった。後継団体の動きに注意してほしい」との内容だった。
心配した区長は「サティアン」と呼ばれた施設の跡地公園や慰霊碑に向かったそうだ。誰もいない、いつもの公園…。「やっとこの日がきたか」と安堵(あんど)した。区切りが来たのだ。
◆理不尽な犯罪が次々と
麻原死刑囚(本名・松本智津夫)は一九九五年五月に逮捕されてから、二十三年たっての刑執行であった。他の教団幹部らと共謀して、八九年の坂本堤弁護士一家殺害事件や九四年の松本サリン事件などを起こした首謀者である。
十三もの事件に関与した。判決で認定された死者は計二十七人。起訴後に亡くなった人もおり、犠牲者は二十九人にも。地下鉄サリン事件などで計六千五百人以上が被害者となった。
死刑執行を受けて、ロイター通信など海外メディアも速報を流した。フランスのAFP通信は地下鉄サリン事件を振り返り、こう表現した。
<首都をまひさせ、事実上の戦争状態に変わり、負傷者はよろめきながら地上に逃げた>
この地下鉄サリン事件は教団への警視庁の強制捜査が現実味を帯びてきたため、捜査かく乱を狙った。こんな理不尽な犯罪があるだろうか。
ボツリヌス菌炭疽(たんそ)菌、ホスゲン爆弾、プラズマ兵器の製造まで元代表の指示があった。
◆闇はまだ続いている
犯罪史上類がないと語られるのは、巨大な組織と技術を持っていたことにもある。頭脳があったのだ。猛毒のサリンを製造できたのは、一流の大学を出た理系のエリートがいたためである。高学歴の若者たちが自らエリートの道を捨て、教団に加わったのはなぜなのか。しかも、荒唐無稽な教団の思想を信じ、犯罪にまで。
核戦争の不安をあおりつつ、オウム真理教は「人類救済」を説いていた。そして出家・在家の信者を計一万人以上も集め、勢力を伸ばした。なぜ若者たちがオウムの教団に走ったのか。彼らは愚かだったのか。
事件の背景に宗教が強くあったのは確かである。誰しも悩みを抱え、道に迷う。そのとき、「こっちだ」とある者が手を伸ばす。誰しも心に空洞があるときがある。そのとき、ふっと言葉をささやきかけられる。
流され行く日々の中で、若き悩める者こそ、修行の道を説かれ、自己を問うてみたのかもしれない。虚無感がただよう時代である。既存の宗教にない手掛かりを持ったのかもしれない。
そう考えると、果たして刑の執行で幕引きだったのだろうか。確かにオウム真理教の事件は、刑事事件としてはほぼ解明されている。だが、首謀者は裁判で弟子のせいにし、「無罪」を主張した。不規則発言を繰り返した後は、話すことすらやめてしまった。
だから、実質的には一審だけで終わった感がある。動機は何だったのだろう。本当に「日本支配」だったのだろうか。首謀者の口からそれを聞けなかったのはあまりに残念である。その機会は永久になくなった。
そして、オウム真理教は二〇〇〇年に「アレフ」に改称した。今は「ひかりの輪」が分派し、もう一つの団体も生まれている。信者の数は約千六百五十人とされるが、毎年百人程度の入信者が続いている。事件を知らない若者が多いと聞く。
公安調査庁は三団体は麻原死刑囚の強い影響下にあるとみている。死刑により、「神格化」される恐れもあろう。その意味でまだオウムの闇は続いているのだ。
宗教が普通の人々を引きつけ、過激な教義で犯罪にまで走らせた事件だった。カルト教団の恐ろしさは教訓としたい。幕引きとせず、忌まわしい記憶であっても消してはなるまい。
◆「心残りがある」とも
地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさんは麻原死刑囚の刑執行には「当然」と言いつつも、他の死刑囚については「彼らにはテロ防止のためにも、もっといろいろなことを話してほしかった」と語った。さらに「それができなくなってしまったという心残りがある」とも述べた。
社会の在り方に疑問や憎しみを持つ人々が大勢いる。世の中は矛盾に満ちているから。事件はそんな社会の裏側とべったりとくっついている。