(筆洗)どうなってもかまわぬ、そんな心で引き起こされた事件 - 東京新聞(2018年6月28日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2018062802000123.html
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交番を襲う。拳銃を奪う。奪った拳銃で銀行に押し入る。もちろん許せぬが理解はできる。拳銃を奪う。奪った拳銃で恨みのある人物を殺害する。これも理解はできる。どちらも犯罪だが、拳銃を奪う目的がある。
警官を刺殺し、拳銃を奪う。小学校で警備員に発砲し殺害する。現時点での情報に限れば、警官や警備員に恨みがあったわけでもなさそうだ。おそらく面識もない。だとすれば、この凶悪事件の目的が分からない。二十六日の富山市内での事件である。いったい、この二十一歳の元自衛官は拳銃を奪い、最終的に何がしたかったのか。
その日はアルバイトをしていたという。その日常から、時を置かずしてナイフとおのを手にまがまがしい世界へと向かっていく。目的もその男の心も見えぬ分、この事件に震える。
どうなってもかまわぬ、そんな心で引き起こされた事件が続いている気がしてならぬ。先日も東海道新幹線車内で見知らぬ乗客をナイフで殺害する事件があった。容疑者は二十二歳だった。
決めつけるわけにはいかぬが、仕事や人間関係でうまく折り合えず、自暴自棄になった若い心が凶器を握らせてしまう部分がないか。失うものなど何もないと道を踏み外し、無関係な人の命を奪う。
甘ったれるなと思う一方、この手の事件の正体を見破らぬ限り、拳銃管理を厳重にしただけでは再発防止にはなるまい。