(余録)あの痛々しい記者会見を経ても… - 毎日新聞(2018年5月28日)

https://mainichi.jp/articles/20180528/ddm/001/070/052000c
http://archive.today/2018.05.28-001353/https://mainichi.jp/articles/20180528/ddm/001/070/052000c

あの痛々しい記者会見を経ても、日本大学の姿勢に誠意はいまだに感じられない。アメリカンフットボールの悪質なタックルをめぐる指導者への批判はむしろ高まる一方だ。
会見に臨んだ20歳の青年の表情と言葉が頭から離れない人も多いのではないか。「楽しいスポーツだと熱中していましたが好きではなくなりました」「競技を続ける権利はないし、やるつもりもありません」。そんな思いをさせる監督やコーチがなぜ学生スポーツの指導を続けてこられたのだろう。
高校バスケットボール界に一人の名将がいた。秋田県能代工業高校の元監督で、3月に80歳で亡くなった加藤広志先生だ。1960年から90年まで監督を務め、高校総体国民体育大会などで33回の全国優勝に導いた。
田臥勇太(たぶせ・ゆうた)選手ら同校OBは大学や実業団で活躍し、その後指導者にもなって日本のバスケット界を支えている。加藤先生に話をうかがう機会があった。情熱家で研究熱心。何より教え子を大事にした。
あるマネジャーの話になった。強いチームには有望な選手が全国から集まり、レギュラーになれない生徒も出てくる。選手として華やかな舞台に立つのをあきらめて「チームに貢献したい」と泣きながら裏方になる決心をした。
この生徒のことをずっと気にかける人だった。彼らの父親でもあったのだ。加藤先生に聞いてみたかった。今回の問題はなぜ起きたのか。そして、もうアメフットは続けないと言う彼に、もし先生ならどんな言葉をかけますか、と。