(余録)「真にやむを得ない限度において身体の拘束… - 毎日新聞(2018年5月17日)

https://mainichi.jp/articles/20180517/ddm/001/070/138000c
http://archive.today/2018.05.17-001250/https://mainichi.jp/articles/20180517/ddm/001/070/138000c

「真にやむを得ない限度において身体の拘束、麻酔薬施用又(また)は欺罔(ぎもう)等の手段を用いることも許される場合があると解しても差(さ)し支(つか)えない」。回りくどい文章だが、要は力ずくでも、麻酔をかけてでも、だましてもいいから実施しろというのだ。
何をか−−「優生手術」と呼ばれた強制不妊手術である。これは1953年の厚生事務次官通知「優生保護法の施行について」。「不良な子孫の出生」防止を掲げて48年に制定された同法はその目的による強制不妊手術を認めていた。
いきおいナチスの非人道的断種(だんしゅ)政策が思い浮かぶが、戦前日本の国民優生法下で強制不妊手術は1件もない。障害者ら1万6475人への強制手術は基本的人権をうたう現憲法下で行われたのである。
手術を強いられた宮城県内の女性が国家賠償を求めて提訴し、大きく動き始めた強制不妊手術の実態解明と救済への動きである。きょうまた3人が東京、仙台、札幌で提訴する予定で、超党派の議連による救済法案の準備も始まった。
当の優生保護法母体保護法に改定され、優生条項が廃されたのは22年前である。この間、国は補償を拒み続け、強制不妊手術の記録や資料の8割は失われた。国連による補償勧告も、スウェーデンなどの補償例も顧(かえり)みられなかった。
個の尊厳が約束された社会で、なぜ障害者らは「拘束、麻酔薬施用又は欺罔」の対象とされたのか。同じような論理は今もどこかに潜んではいないか。この社会の未来のために検証すべき優生手術の闇である。