週のはじめに考える 「働き方改革」は必要? - 東京新聞(2018年5月13日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2018051302000168.html
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働き方改革の法案審議が本格化しています。日本人の働き方に問題は多々ありますが、そもそも政府が画一的にルールを決めるべきなのでしょうか。
花粉やウイルス対策用のマスクなのに一枚六百五十円−。びっくりするほどの高価格ですが、三年前の発売以来、花粉の飛散時期を中心に注文が引きも切らない。
その秘密は、抗菌や消臭に有効なナノ銀イオンが独自開発の染色技術でたっぷりと生地に定着させてあるから。繰り返し洗濯しても効果は続き、長持ちするのでお値打ちでもあるのです。

◆仕事が好きになる環境
繊維産業が盛んな福井県の「ウエマツ」という染色メーカーが手がけました。従業員四十五人の小さな会社ですが、全国コンテストで最高賞をとるなど染色加工技術に実績があります。
高い技術力で右肩上がりの経営を続ける秘訣(ひけつ)を尋ねると、上松信行社長(69)からこんな答えが返ってきました。
「タイムカードもなければ残業もありません。心がけているのは社員が仕事を好きになる環境づくりだけ」
同社には染め、仕上げ、検査、出荷、試験、開発、事務の部署があり、社員に各部署を経験させてみて、自分に向いていると思う仕事に就かせている。
職場環境の改善要望もアンケートで聞く。仕事場は乾燥作業などで室温が五〇度にもなる。その『暑さ』を何とかしてほしいとの声が強かった。一千万円以上かけて地下二百メートルの井戸を掘り、スプリンクラーで屋根に散水することで室温を五度以上も下げた。「もっと下げる」と意気軒高です。
上松社長の言葉で驚かされたのは「経営者の仕事は人件費を増やすこと」。多くの経営者は乾いたタオルをさらに絞るように「経費節減」「人件費削減」と叫んでいます。それに抗(あらが)うように社員のための投資を惜しまず、付加価値の高い製品づくりを目指している。
育児休暇や手当などの支援も手厚く、そうした配慮を意気に感じた社員は、他社がまねできないような多品種・スピード処理といった高い生産性で応えています。

◆社員を幸福にする役職
経営者が働きやすい環境に努めれば生産性が向上する−それは何も理想論ではありません。米国の心理学者三人の共同研究(「幸福は成功を導くか、二〇〇五年」)はその答えを証明しました。
「幸福度の高い従業員は、そうでない従業員に比べて生産性は30%、営業成績は37%、創造性にいたっては三倍も高い」−。
「幸せ」を感じながら行動すると、脳内の神経伝達物質ドーパミンが多く分泌され、やる気や学習能力が高まるからだそうです。
欧米では、社員が幸福に働けるよう専門的に取り組む役職を設ける企業が増えています。CHO(チーフ・ハピネス・オフィサー)という役職で、かのグーグル社が先駆けとなるや米西海岸のIT企業などに広まりました。
オフィスで瞑想(めいそう)の時間を採り入れたり、女性のCHOが一人ひとりの座席を回ってはコミュニケーションを深める。こうした社員の幸福度と会社の発展が車の両輪のように回るのを目指している。
働き方改革」に目を転じてみると、どうでしょうか。政府は成長戦略に位置付けて生産性を高めよう、女性も高齢者も一億総活躍で働こうとルールを押し付けます。財界、つまり働かせる側の論理が優先されていて、働く人の幸せなど置き去りです。
時間外労働に法定上限を設けるのが画期的だと喧伝(けんでん)するが、繁忙月は百時間未満まで認めるなど、ワークライフバランスはおろか過労死防止も怪しい。
焦点の高度プロフェッショナル制度高プロ)は残業代も深夜や休日の割増賃金もなく、働く人を保護する労働法制が適用されない、極めて危うい制度です。
制度に適した働き手が少なからずいるとしても、いずれそれが普通の人まで拡大されるおそれが強いのも、また事実でしょう。

◆モデルの米国は縮小へ
高プロのモデルである米国のホワイトカラー・エグゼンプション(WE)を現地調査してきた三浦直子弁護士は、こう語ります。
「残業代を支払わなくてよいなら、使用者側は間違いなく長時間働かせる。そして本来適用されない人にまで拡大していく」
米国ではWEが低賃金労働者にまで著しく拡大、長時間労働健康被害の蔓延(まんえん)により規制強化に動いています。日本は明らかに逆の方向へ進もうとしているのです。
働き方とは、企業の労使が自発的に決めるべき慣習。本来、政府が制度や法改正して上から決めるのは不自然でしょう。この「働き方改革」が本当に働く人のためなのか、よく見つめるべきです。