「同情より、できることしたい」震災きっかけ 子どもたちを支える側に - 沖縄タイムズ(2018年4月13日)

http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/231716
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◆青葉のキセキ−次代を歩む人たちへ− 第4部 見つけた居場所 歩 一歩ずつ(4)
たくさんの人に支えられてきた玉城歩(あゆみ)(27)が、子どもたちを支える側に回ったのは東日本大震災がきっかけだった。大学の卒業式を翌日に控えた2011年3月11日、地震が発生。テレビに映し出される津波やがれきの山、どんどん増える犠牲者数を見ても、当時20歳の歩の目から涙は出なかった。「同情より、できることがしたい」。大学保育科の教授らに来ていた派遣要請に手を挙げ、子どもの居場所づくりボランティアに参加した。
国際NGOセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンに数カ月間所属。避難所を転々としながら子どもたちと遊んだ。「大人は原状回復に必死で動き回る中、子どもは一人になりがちだった」。だが、そこで見たのは子どもたちがたくましく生きる姿。「逆に生きるエネルギーをもらった」と振り返る。
16年4月発生の熊本地震でも同団体でボランティアを経験した後、沖縄市の「ももやま子ども食堂」に就職した。
今年2月下旬、18歳まで暮らしていた児童養護施設を訪ねた。歩を支えてきた女性指導員は「昔から芯が通った子」と褒める。照れる歩を前に、女性は「子どもたちに一目置かれててさ、私より歩が叱ったほうが効いたよね」と笑った。クリスマス会のこと、彼氏とけんかして泣いた日のこと−。毎日話し込んだ2人だから、思い出話は尽きない。
「毎日どんな話でも、私の目線に立って聞いてくれた」女性らの背中を追って、歩は施設で働く指導員を目指している。孤独や空腹、暴力に傷つけられた過去。大好きな母へ複雑な思いを抱いた時も、周りの人に支えられながら母と本音で向き合った。今も頻繁に連絡を取り合う家族仲の良さが自慢だ。
子ども食堂では、子どもたちと全力で向き合う。でも「自分が頑張れたからあなたも頑張れるなんて、絶対に言わない」と決めている。「だって人によって耐えられる苦痛の種類も、キャパシティー(容量)も違うから」。一人だって同じ人間はいない。
「自分らしく笑える場所があれば、人生それでいいと思うんです」
目標は子どもの個性を伸ばせる指導員。家庭環境やお金の有無に関係なく、子どもが子どもらしく甘えられる居場所づくりに、歩はこれからも奮闘する。
信条の「同情ではなく行動を」を胸に。=敬称略(社会部・宮里美紀)=この項おわり