高速炉開発会議 サイクルは切れていた- 東京新聞(2016年12月7日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016120702000136.html
http://megalodon.jp/2016-1207-0931-39/www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016120702000136.html

増殖炉がだめなら高速炉、「もんじゅ」がだめなら引退した「常陽」を引っ張り出せばいい。そんな簡単なものなのか。核燃料サイクルの輪は、二十年以上も前に切れていた。もう元には戻せない。
何か勘違いしてないか。
そもそも「高速炉開発会議」という名称が、おかしくないか。
トラブル続きで働けず、「金食い虫」の汚名をまとう高速増殖原型炉の「もんじゅ」(福井県敦賀市)。第一に問われているのは、そのもんじゅを中心とする核燃料サイクルの“進退”だ。
多くの人は“引退”、つまり廃炉を求めている。
たとえばもんじゅ、あるいは核燃料サイクルの対策会議というなら、まだ分かる。
開発会議の議論は、明らかに核燃料サイクルの存続が前提だ。
経済産業省文部科学省電気事業連合会、そして原子炉メーカーなど、核燃料サイクルを維持し、原発を存続させたい役所、企業ばかりが顔を並べるメンバー構成からも、あからさまなほどに明らかだ。
核燃料サイクルを断念すれば、使用済み核燃料は、ただのごみ。青森県六ケ所村の関連施設で保管してもらえなくなり、宙に浮く。核のごみに対する世論の風当たりが強くなり、原発の再稼働に支障を来す。だから断念はしたくない−。思惑が透けて見えるようではないか。
ところが、エネルギーを増やしてくれる増殖炉、もんじゅなしではサイクルはなりたたない。
高速炉は核のごみを燃やす単なる“バーナー”だと言う学者もいる。家庭ごみの焼却処理を「リサイクル」と呼ぶ人はいないのと同じである。
核のごみの処分技術を研究するのはいい。だが、六ケ所村の再処理施設も、もんじゅ同様、莫大(ばくだい)な国費を投入し、歳月を費やしながら、失敗と稼働延期を繰り返す。もんじゅ廃炉にするのなら、当然、核燃料サイクル全体を断念すべきではないか。
もんじゅは、科学の夢だった。だが、核燃料サイクルが破綻したのは現実だ。これ以上、傷を深めるべきではない。
立地地域の福井県青森県ともよく話し合い、もんじゅ核燃料サイクルをまず円満な“引退”に導くべきだ。
そして、核のごみの処分をどうするかという緊急課題に議論を切り替えて、正面から取り組むべきである。