カストロ前議長 死去 90歳 キューバ革命を主導 - 東京新聞(2016年11月27日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201611/CK2016112702000112.html
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【ニューヨーク=東條仁史】一九五九年のキューバ革命を主導し、反米勢力のカリスマとして国内外に強い影響を与えたフィデル・カストロ国家評議会議長が二十五日、死去した。九十歳だった。実弟ラウル・カストロ現議長が、国営メディアを通じて「キューバ革命の最高司令官が午後十時二十九分、死亡した」と明らかにした。死因は明らかにされていない。
引退後も絶対的な指導者として求心力を保持しており、国民が動揺する可能性もある。ただ二〇〇八年に元首である議長を退いた後は、ラウル氏の政権運営が安定しており、社会主義政権は維持されるとみられる。キューバは昨年七月、米国と約半世紀ぶりに国交を回復し、米国は段階的に経済制裁を緩和している。
カストロ氏は一九五三年、親米バティスタ政権の打倒を目指し、モンカダ兵営を襲撃したが失敗。一時メキシコに亡命したが、ラウル氏やアルゼンチン人の活動家チェ・ゲバラらとともに五六年に帰国し、ゲリラ戦を展開して五九年にキューバ革命を実現させた。
キューバは六一年に米国と断交。社会主義を宣言し、旧ソ連との関係を深めた。六二年にはソ連製核ミサイルの受け入れを決断し、世界を米ソ核戦争の瀬戸際に立たせる「キューバ危機」を招いた。後ろ盾だったソ連の崩壊後は、経済政策が行き詰まり、国民は苦しい生活を強いられた。
カストロ氏は二〇〇六年七月に腸内出血で手術を受けていた。遺志により、遺体は火葬される。キューバ政府は葬儀が東部サンティアゴデクーバで十二月四日に行われると発表した。
一九九五年と二〇〇三年に来日し、広島も訪れた。今年九月に日本の首相としてキューバを初訪問した安倍晋三首相に、「キューバでは広島と長崎の悲劇が語られている。両国は核のない世界をつくるという点で一致している」と語った。