「加波山事件」本質に迫る 会誌の創刊号発行 遺族らに聞き取り重ねる:茨城

http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201609/CK2016090102000166.html
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明治時代、自由民権運動の高まりの中で起きた加波山事件を研究している筑西市市民グループ「自由民権加波山事件研究会」が、創刊号となる会誌「自由立憲政体の魁(さきがけ)」を発行した。会長の郷土史家桐原光明さん(68)は「加波山事件は爆弾を製造するなど、過激な面が強調されるが、青年たちが社会正義を築こうと志した自由民権運動の本質でもあったことを伝えたい」と話す。 (原田拓哉)
加波山事件は、一八八四(明治十七)年九月、政治結社自由党急進派の若い志士十六人が、自由民権運動を弾圧した栃木県令・三島通庸(みちつね)らの暗殺を企てて蜂起。しかし、失敗して加波山桜川市石岡市)に立てこもり、山頂に「圧制政府転覆」「自由の魁」などの旗を掲げた。鎮圧された後、七人が処刑された。山頂には旗立石が建立され、処刑された活動家らの名前が刻まれている。
研究会は、事件勃発から百三十年の節目の二〇一四年に発足した。会員らは、筑西市桜川市に住む当時の自由党幹部らの遺族を訪ねたり、遺跡を調査したりしたほか、各地の自由民権運動の研究会とも交流を重ねている。
会誌のタイトルは、事件を企てた首謀者らが記した檄文(げきぶん)「完全なる自由立憲政体の造出」を参考に決めた。
創刊号は、加波山事件の引き金の一つともなった福島事件(喜多方事件)を取り上げている。三島が福島県令だった時代、農民に対する労役や自由民権運動への弾圧に反発して一八八二年、自由党の党員らが蜂起した。
研究会は、地元の顕彰団体の会員らとも交流を深めてきた。事件に関与した人たちが“政治犯”扱いされ、最近まで位牌(いはい)に戒名がなかったり、遺族たちの見合いが破談になったりするなど、冷淡に扱われてきたという。創刊号では「遺族との交流」と題し、こうした事例も紹介している。
会誌は筑西市内の図書館や公民館に寄贈した。希望者には三百円で販売する。
問い合わせは桐原さん=電0296(24)6450=へ。