<論点>2016参院選 越えた「改憲」ハードル - 毎日新聞(2016年7月12日)

http://mainichi.jp/articles/20160712/org/00m/010/008000c
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「高い」といわれた憲法改正のハードルが、一気に跳び越えられた。10日投開票の参院選の結果、改憲勢力が衆参両院で3分の2超の議席を得た。1946年11月3日の憲法公布から70年。初めて現実的な政治日程として浮上した憲法改正に、国民はどのように向き合えばよいのか。

政権の非立憲的姿勢懸念 石川健治・東京大教授
安倍政権について懸念するのは、その「非立憲」的な姿勢だ。立憲主義的権力は独裁的権力と異なり、ほぼ対等の「ブレーキ役」を伴う権力だが、第2次安倍政権は政策実現のため、まず目障りなブレーキ役の破壊から始める姿勢が、発足当初から目立った。
アベノミクスも例外ではない。金融政策の運営を、政府・財務省から独立した中央銀行の中立的・専門的な判断に任せて物価を安定させようとした日銀法の原則を踏みにじり、財務省出身の黒田東彦氏を総裁に送り込んだ。アベノミクスの非立憲性は、それがどれほど優れた政策だったにしても、拭い去ることができない。
安全保障関連法の制定も同様だ。政府からの相対的な中立性を維持してきた内閣法制局の長官を、集団的自衛権容認派の外交官出身者に交代させた。ブレーキ役を破壊する政権の姿勢は「違憲ではないが非立憲」である。
参院選では、市民主導の野党共闘が「『安倍1強』状態に民意がブレーキをかけるべきではないか」と問いかけた。政権選択選挙ではないため、それだけを純粋に問うことが可能だったのだが、当の国民がこれに低投票率で応えたのは遺憾だった。
ただ、衆参両院で「改憲勢力」が3分の2を制したとはいえ、参院での差は僅差にとどまった。閣僚2人が落選して政権にもダメージが残り「国民による政権への白紙委任」という印象だけは回避された。結果を真摯(しんし)に受け止め、数の力ではなく「理」に基づく熟議を担保することを期待したい。
遠からず国会での憲法改正に向けた議論が始まるだろうが、安倍政権の非立憲性が、1950年代の「古い改憲論」に由来しているらしい点が気がかりだ。
「古い改憲論」は、かつて戦前日本の立憲主義を破壊した、軍国主義を支えた復古的言説の体系であり、日本国憲法象徴天皇制政教分離原則、何より9条によって封じ込められたはずのものだった。そうした言説にとって日本国憲法は敵だから、その枠組みを破壊しようとする。立憲主義のゲームに乗る前に、まずゲームのルールから破壊しようとした96条改憲論も、実はその一つの例だ。
それを再び封じ込め、立憲主義を維持するために形成されてきたのが、戦後日本の護憲論だった。そして安倍政権は体質的に、立憲主義に適応していないようだ。
だから、改憲論が変わらない限り、護憲論も「古い護憲論」から変われない。この構造の下では、未来志向のまっとうな改憲論は、古い改憲論の餌食になり、立憲主義の破壊に利用されるだけだろう。
この点、改憲の議論が、一見もっともらしい緊急事態条項から着手される気配だけに、与党内外で「護憲的改憲」を考えるまじめな改憲補完勢力には、特に注意を促しておきたい。
もし現代の改憲論が、封じ込めた戦前の亡霊を呼び起こすものではないことが明確になれば、憲法論議が新たな段階に入る可能性もある。ただその場合は、安倍政権のアイデンティティーの方が失われているはずである。【聞き手・尾中香尚里】
■人物略歴
いしかわ・けんじ
1962年生まれ。東京大法学部卒。東京都立大教授を経て現職。専攻は憲法学。「立憲デモクラシーの会」呼びかけ人。著書に「自由と特権の距離」、編著に「学問/政治/憲法」など。


今こそ学び、次の総選挙に 伊藤真・弁護士
改憲勢力が3分の2を超えたことには何の意味もない。憲法改正の国会発議は、具体的にどの条文をどう変えるかという点について、3分の2の賛成が得られて初めて行われるからだ。
例えば今の憲法9条を変え、国防軍を創設する自民党改憲案に公明党は賛成するだろうか。おおさか維新の会が改憲で教育無償化や憲法裁判所の設置を目指すとしているが、自民党改憲草案にはいずれも入っていない。憲法裁判所には賛否両論があり、自民党は賛成するだろうか。
安倍晋三首相に批判的な勢力や、改憲反対の市民運動に取り組む人たちは「3分の2を改憲勢力に取られた」として憂慮したり、落胆したりする必要はない。むしろ今後、国会の憲法審査会で改憲論議が進んでいくときに、国民がもっと具体的な改憲を意識した議論をしっかりする。つまり、一種のピンチをチャンスに変える認識を持つことが重要だと思う。
自民党は4年前に発表した改憲案で、「国を豊かに、強くする」というゴールを明確に示し、それに向かって一歩一歩着実に進んでいる。今回の参院選で「憲法改正が争点にならなかった」といわれるが、自民党としては、わざわざ一つ一つの選挙で「改憲でこれを実現しますよ」と公約に掲げるまでもない。
過去の国政選挙でも特定秘密保護法や安全保障関連法を争点にしなかったのに、選挙後に成立を強行した、と批判されるが、いずれも自民党改憲案9条で示した法律を作っただけのこと。驚く必要は全くない。自民党は国民に示したとおりのことを「誠実」に進めている。国民やメディアがそれに対して鈍感なだけだ。
アベノミクスも同じ。自民党改憲案前文に「活力ある経済活動を通じて国を成長させる」と書いてある。要するに、国家の国内総生産(GDP)を成長させることが重要なのであって、労働者の実質賃金が減少しようが関係ない。一人一人の個人よりも、国家を尊重する国をつくりたいと考えているのは明らかだ。
安倍首相は参院選の結果を受けて「自民党の方向性が支持された」として政策を進めていくだろう。少なくとも民主主義の国ならば、そのように評価されてもやむを得ない。ただ、自民党が提唱する、より強くて豊かな国づくりと、今の憲法が理念とする一人一人の個人を尊重する国づくりでは、目指すところが正反対だ。こうしたなか、国民はどのような国で生活するのが幸せを感じられるのか、自分たちのこととして考える時期にある。
公明党の支持者で、これまで抽象的に「自公は連立だから」といって自民党の候補者に投票してきた人たちも、自民党改憲案の本質を理解し、自民党が目指す国家像を本当に支持していいのか考えていく機会だ。
改憲問題はこの参院選で終わりではない。市民が今こそ憲法を学び、力を培い、その力をもって次の総選挙で憲法を意識した投票行動に出るための始まりと位置付ければよいと思う。【聞き手・田中洋之、写真も】
■人物略歴
いとう・まこと
1958年生まれ。81年に司法試験に合格。東大卒。法律資格の受験指導校「伊藤塾」を主宰。日弁連憲法問題対策本部副本部長。法学館憲法研究所を設立し憲法の理念を広めるための活動を展開する。


改正に向け具体的議論を 大石眞・京都大大学院教授
憲法改正をした方がいいという勢力が、参議院で3分の2の議席を確保したからといって、正直なところ騒ぎ過ぎという印象だ。憲法のここを改正したいと参院選で争ったわけではないので、憲法改正自体に対するイエスが出たとか、ノーが出たという話に結びつかない。
憲法改正は国会で改正案を通せばいいということではない。国会が憲法改正案を発議して、国民投票過半数の賛成を得る必要がある。英国の欧州連合(EU)離脱の是非を問う国民投票も、EU離脱にはならないという大半の選挙前予測と違って、蓋(ふた)をあけてみたら離脱だった。国民に決定権があると見せつけられたばかりなのに、衆参両院それぞれの改憲勢力が3分の2を占めることになったから、直ちにどうなるという議論をすること自体が短絡的だ。
国会が憲法改正の発議ができるかどうかも中身によるだろう。憲法改正が必要だと考える具体的項目は、まずは2院制のあり方だ。衆参両院で多数勢力が違うねじれが起きた場合、法律の成立が難しくなる。国権の最高機関の決定手続きなので、真剣に考えないといけない。一つは衆参両院の法案への可否が異なった場合、法案再議決の規定を定めた憲法59条の問題で、衆議院で可決し、参議院で否決された法案を成立させるためには、衆議院の3分の2での再可決を必要とするのではなく、多数決で2度可決すれば成立するようにした方がいい。その代わり、衆議院ですぐ再可決するのは拙速だから、冷却期間を置くというのが考えられる案だ。
もう一つは、参議院議員の選挙の仕方は国民各層の代表と考えるか、地域の特に都道府県の代表と考えるかによって違ってくるけれど、地域の代表を出すことが大事だという観点に立つ憲法改正はあってしかるべきだ。憲法に何も書いていないので、結局人口を基準にしている。人口と関係なく、ある理念に基づいて議員を選出すると憲法の条文で示せば、「1票の格差」の訴訟は起こらなくなる。
憲法89条は政教分離のところは残さないといけないが、私学助成などが駄目だという部分は削った方がいいのではないか。普通に考えると、慈善、教育、博愛の事業はむしろ国としても応援しないといけないものだ。だから、最初からお金を出してもいいのだが、公のお金を使うのだから条件を付けると書けばわかりやすい。
憲法審査会で議論する際、たたき台になるかもしれない自民党憲法草案にもいくつか問題がある。例えば、緊急事態条項は非常に強い権力の発動だから、明確性と完結性を持っていないといけない。こういう場合に限って、こういう権力を発動すると、限定的に明確性を持って、しかも完結していないと、何が含まれるかわからない。それが大事なのに、自民党草案の決定的な欠点はこういうことが起こった場合について「法律の定めるところによる」と書いてあるので、いくらでも広げられると懸念するのは当然だ。外国ではきちんと議論したうえで、かなり念入りな規定の仕方をしている。【聞き手・南恵太、写真も】
■人物略歴
おおいし・まこと
1951年生まれ。東北大法学部卒業。九州大教授、京都大大学院法学研究科教授などを経て、2014年から同大学院総合生存学館(思修館)教授。専攻は憲法学と立法学。


発議後に国民投票
憲法改正には、まず衆院で100人以上、参院で50人以上の賛同を得たうえで原案を国会に提出し、衆参両院の憲法審査会で審査する。審査会で出席議員の過半数の賛成で可決されると、本会議に付され、衆参両院それぞれの本会議で総議員の3分の2以上の賛成で改正が発議される。発議から60〜180日の間に国民投票が行われ、有効投票の過半数の賛成で成立する。投票年齢は現在20歳以上だが、2018年6月21日以降は18歳以上となる。