沖縄の苦悩込めたウルトラマン 那覇出身の脚本家・上原正三さん - 東京新聞(2016年6月12日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201606/CK2016061202000112.html
http://megalodon.jp/2016-0612-1043-00/www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201606/CK2016061202000112.html

ウルトラマン」がテレビに初登場して来月で五十年になる。その特撮番組の一部には、実は沖縄の苦悩が重ねられていた。シリーズ初期にシナリオを多く書いた上原正三さん(79)=東京都町田市=は那覇市生まれの脚本家だ。沖縄は日本と言えるのか−。東京で在日琉球人を自称し、自問し続けてきた。米軍基地が集中する現状は変わらず、いたましい事件も続く中、答えは「ノー」だ。「日本じゃない。まるで日本に併合された島だ」 (辻渕智之)

「あれが宇宙人なのかな?」「子どもに化けてるんだって」
孤児の少年が河原に不時着した宇宙人と心を通わせて暮らし始めると、少年も「宇宙人」とうわさされ、町の人たちから襲撃される。『帰ってきたウルトラマン』第三十三話「怪獣使いと少年」の一コマだ。沖縄が本土に復帰する前年の一九七一年に放映された。
上原さんは「関東大震災朝鮮人虐殺をモチーフに群衆のもつ理不尽な圧力」を描いた。本土で理解されないマイノリティー(少数者)である自身の姿も投影された。宇宙人や怪獣にも存在する権利はあり、暴れる理由がある。ウルトラセブンで登場する頭の大きいチブル星人のチブルは、頭を意味する沖縄ことばだ。
高校生の時、親類を訪ねて東京に行った母が「向こうの子どもに紹介されたとき『九州から来たおばさん』と言われた」と寂しく笑った。沖縄に住んでいることが隠された。自身の東京での大学時代、下宿を貸すとOKした大家は、後で態度を一変させ断られた。「この差別の正体を自分の皮膚感覚で突き止めたい」と東京に住み続けてきた。
二十三日は、七十一年前に沖縄での組織的な戦闘が終結した「慰霊の日」。地上戦で県民の四人に一人が命を失った。戦後は米軍が住民の土地を強制接収し、基地を建設した。五五年、大学進学で上京した上原さんは東京駅から杉並区まで電車に乗り、「ん、基地がない」と車窓の風景に首をひねった。米軍人や軍属による事件事故は絶えず、最近は二十歳の女性の殺害遺棄容疑事件があった。
怪獣使いと少年」では、町の人たちの襲撃から少年を守ろうとして宇宙人が射殺される。すると宇宙人が地中に封じ込めていた怪獣が街を破壊しだす。助けを請う群衆にウルトラマンである隊員は「勝手なことを言うな。怪獣をおびき出したのはあんたたちだ」と変身をためらう。
最後のシーン。宇宙人が乗ってきた宇宙船を孤児の少年は捜し続ける。「彼は地球にさよならが言いたいんだ」。少年の思いを、ウルトラマンは隊員に戻ってそう代弁する。
「地球」を日本に置き換えれば、最近盛んな「琉球独立論」が想起される。参院選も意識し、上原さんは本土の人間に問いかける。「日本に復帰して平等になったのか。新基地建設に反対してくれる人たちの存在はもちろんありがたい。でも、その後ろで沈黙を守る99%の人たちはどうなんだろう」

関連サイト)
ウルトラマン屈指の異色作 沖縄出身脚本家・上原正三さんが挑んだタブー - 沖縄タイムズ(2016年3月27日)
http://d.hatena.ne.jp/kodomo-hou21/20160328#p1

■「怪獣使いと少年」で問うた人間の心の闇
―それで、第33話「怪獣使いと少年」ができた。
「登場人物の少年は北海道江差出身のアイヌで、メイツ星人が化けた地球人は在日コリアンに多い姓『金山』を名乗らせた。1923年の関東大震災で、『朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ』『暴動を起こした』などのデマが瞬く間に広がった。市井の善人がうのみにし、軍や警察と一緒になって多くの朝鮮人を虐殺したんだ。『発音がおかしい』『言葉遣いが変』との理由で殺された人もいる。琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない」
―今見ても生々しく、よく放送できたなと思う。
「僕が何をやろうとしているのか、TBSの橋本プロデューサーは当初から知っていたよ。だって最初にプロットを見せるから。プロデューサーの権限は絶対だけど、だめと言われたら企画は通らない。でも、『書け』と言ってくれたよ」
「あの回の監督は東條昭平が務めたんだけど、彼が僕の意をくんで、演出をどんどん強めていくんだ。例えば、『日本人は美しい花を作る手を持ちながら、いったんその手に刃を握ると、どんな残虐極まりない行為をすることか…』という隊長のセリフは僕の脚本にはなく、東條が付け加えた。そういう意味では、30歳前後の若者が血気盛んに作ったんだね」
―すんなり放送できたのか。
「いや、試写室でTBSが『放送できない』と騒ぎ出した。橋本プロデューサーが『上原の思いが込められた作品だから放送させてくれ。罰として、上原と東條を番組から追放する』と説き伏せて放送させた」
「でも当初、メイツ星人は群衆に竹槍で突き殺されていた。これも僕のシナリオではなく、東條が演出で変えた部分。さすがにこのシーンは生々しすぎて子ども番組の範疇(はんちゅう)を超えると…。それでこの場面は撮り直して拳銃に変わり、オンエアされた。結局、僕はメーンライターを辞めさせられたけど、橋本さんには感謝しかない」