ウルトラマン屈指の異色作 沖縄出身脚本家・上原正三さんが挑んだタブー - 沖縄タイムズ(2016年3月27日)

https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=160369
http://megalodon.jp/2016-0328-0125-14/https://www.okinawatimes.co.jp:443/article.php?id=160369

沖縄出身の脚本家、故金城哲夫さんが「ウルトラマン」を誕生させてからちょうど50年。特撮の円谷プロで1歳下の金城さんと苦楽を共にした後フリーになり、ウルトラヒーローシリーズ3作目「帰ってきたウルトラマン」を手掛けたのが、同郷の上原正三さん(79)だ。
2人のウルトラマンは対照的。金城さんが近未来のファンタジーとして描いたのに対し、「帰ってきたウルトラマン」は放送時の、1971年の東京が舞台。スモッグの空や工場地帯、ヘドロの海が戦いの場になり、時に怪獣よりも恐ろしい人間の心の闇もテーマになった。
特撮界に多大な足跡を残した上原さん。ウルトラマンと並ぶ特撮ヒーロー、仮面ライダーの誕生にも関わったというから驚きだ。米軍占領下の沖縄から上京し脚本家になるまでのいきさつや、ウルトラシリーズ屈指の異色作「怪獣使いと少年」に込めた願い、故郷・沖縄への思いまで、語ってもらった。(聞き手・磯野直)
.....

―沖縄と日本の関係について、どう考えるか。
「独立も含めて一度関係をリセットし、どうするかを真剣に考える時期が来ている。薩摩侵攻で、琉球王国を占拠した400年前の強引さが今も続く。民意を顧みず、基地を押し付ける政府の態度は沖縄を植民地としてしか見ていない証拠だ。これが差別なんだ」
「薩摩侵攻の時に捕らえられ、2年間幽閉されても薩摩への忠誠を拒否したため、処刑された謝名親方が僕の先祖。18歳の時、琉球人の誇りを持って東京に来てから60年、僕の心の中にはいつも謝名がいる」
―「ウルトラセブン」で「300年間の復讐」という、映像化されなかったシナリオを書いている。
「武器を放棄した友好的な宇宙人が地球に来て人間と仲良くしようとするけれど、『髪が赤い』という理由で皆殺しにされるストーリーを書いた。これは薩摩による琉球侵攻がヒント。武器のない琉球に、鉄砲で武装した薩摩軍が攻めてくる。赤子の手をひねるような、一方的な虐殺だっただろう」
―これが映像化されなかった理由は。やはり「政治的」だからか。
「いや、これは映像化するとお金が掛かりすぎるという、単に予算的な問題だった。テレビは社会問題をストレートに描くのは嫌がるけれど、怪獣を使って描いたりすれば、当時は結構いろいろなことができたんだよ」
―残りの人生で、手掛けたい仕事は。
「金城が沖縄に戻る時、『一緒に帰ろう。企画会社を立ち上げ、沖縄発の作品を作ろう』と僕を誘った。僕はまだペーペーで断ってしまい、彼は37歳で亡くなった。金城がやろうとしたことを今、仕掛けようとしている。しまくとぅばを話すキャラクター番組を、世界中に配信できる沖縄発のヒーローを企画中だ」
「言葉を奪われた民族はアイデンティティーを失い、従順になりやすい。侵略者の常套手段だ。沖縄の子どもたちが番組を楽しみながら、ウチナーグチの勉強ができればいい。それが僕にとっての琉球独立。400年前に奪われたアイデンティティーや言葉を50年、100年単位で取り戻していかないと。その種まきをして、タンメー(おじいさん)は死にたい」
―金城さんとの約束を果たすということか。
「それでは話が美しすぎる。このキャラクターで、金城の初代ウルトラマンを絶対に超えてみせる。今は日本もハリウッドも後ろ向きでコピーばかり。作家の気概がなさすぎるんだ」

////

※注【三司官】謝名 親方(じゃな うぇえかた)1549年〜1611年 久米村出身
http://art.jcc-okinawa.net/rekishi/jyanauekata/