(筆洗)沖縄県民の耳には「期待するな」「何も改善しない」と冷たく翻訳されて聞こえる - 東京新聞(2016年5月24日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016052402000137.html
http://megalodon.jp/2016-0524-0910-02/www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016052402000137.html

同僚から「きょうの筆洗はおもしろかった」といわれたとする。喜べぬ。むしろ警戒する。「ほめ言葉を最大の敵とせよ」の処世訓とは無縁である。ひっかかるのは「きょうの」という部分である。
曲がった心には「きょうの」が強調されて聞こえる。だとすれば「いつもはひどいが、きょうに限っては」の意であり、悪口ではないかとおびえる。日本語は難しい。
「できることはすべてやる」。腕まくりが似合いそうな、この日本語の怪しさを指摘したのは元米兵の遺体遺棄事件をめぐって安倍首相と会談した、翁長知事である。「(政府の)できることはすべてやるという言葉は、できないことはすべてやらないとしか聞こえない」
そう聞こえるのは、知事のせいでは断じてない。この種の事件にせよ、基地問題全体にせよ、結局、解決の糸口さえつかめぬ政府の対応のせいである。できないことはできない。そうかもしれないが、沖縄の意向を端(はな)から「できぬ」と決めつけてきた姿勢がその言葉を疑わせる。
翁長知事が要請したオバマ米大統領との面談について、菅官房長官は「外交は中央政府で協議するのが当然ではないか」と述べた。政府にはこれも「できないこと」に分類されるらしい。
かくして、あの日本語は沖縄県民の耳には「期待するな」「何も改善しない」と冷たく翻訳されて聞こえる。もはや言葉が通じない。